アエルマッキ、この名はレースに関心のある者、レーサーが大好きな者にとって非常に心地良い響きを持つ言葉
です。
しかし、私はこの会社の前身が航空機会社であったことから、アエロマッキだとこの記事を書くまで信じて疑っていま
せんでした。(アエロが空気を表す言葉だからです。)
潜入感で物事を判断してはいけない事を教わった様な気がします。
アエルマッキ・キメラ 175 (1957年 最初の量産車)
しかし、このキメラという名前、欧米では本来、あまり良い意味では使われません。
航空機産業からイタリア敗戦によって撤退を余儀なくされ、その当事、国民の”足”として重宝されていた自転車と
自分達の”宝”、航空技術が無様に合わさったものとして自嘲的に付けた名前の様に思えてなりません。
アエルマッキ・キメラ 250 (OHV水平単気筒)
(画像はキメラ250でない可能性があります。 ただ、排気管の取り回しが水平単気筒っぽいのでもしや?
と考え掲載しました。)
アエルマッキ・アラ・ヴェルデ175 ( 175cc 『緑の翼』の意)
アエルマッキ・アラ・ヴェルデ250 (250cc版)
アエルマッキ・アラ・ブリュ350R ( 346ccと説明されています。 『青い翼』の意 )
でも本当に『青い』塗装だったのでしょうか? 少し疑問が残ります。
アエルマッキ・アラ・ロッサ ( 『赤い翼』の意 )
この次のモデル、アラ・ビアンカ(『白い翼』の意)がアエルマッキ最後の市販車となりました。(画像ナシ)
真にアエルマッキ社にとってアラ・ビアンカは『白鳥の歌』となったのです。
1960年頃にはハーレー・ダビットソンの子会社になり、1970年には完全子会社になっていました。
画像をよく見るとハーレー・ダビットソンの銘板がアエルマッキの社名の下に付いた車体が幾つもあります。
そして1978年カジバに買収されそのオートバイ部門の母体となりました。
つまり、アエルマッキは不死鳥の様に自らを炎で焼き、その炎の中から新しい姿を現したとも言えます。
( 『金の翼』の伝説 )に続く。
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