和やかにやりたかったよ・・・
1998年の結成に至った当時の関西は「和太鼓激戦区」で有ったのです・・・。
いわゆる1000人キャパの劇場で単独公演が打てるグループが6団体・・・しかも、どのグループも個性的で
魅力的だったのですよ・・・。そんな中、少しの隙間を狙って打って出るには・・・
これは和やかに立ち振る舞える状況では無かった訳ですよ・・・。
飛龍というネーミングだけで和太鼓グループとはイメージしにくく私の中ではむしろ、中華料理的なイメージが有ったのです。そんな次元で悩んでいる時、私の兄弟子にあたる「舞太鼓あすか組」主宰者 飛鳥大五郎氏に相談した所・・・「明石家さんまさん見てみぃ・・・さんまやで・・・おかしないか? でも売れてしもたら芸が名前を越えるんや・・・」と。 それを聞いた時にストーンと落ちましたね・・・そこで和太鼓飛龍では無く、「倭太鼓飛龍」で行こうと決めました。
和やかに平和では無く、昔の日本の海賊たちが倭侯と呼ばれ、外国から忌み嫌われていたイメージ・・・。
どうせ色んなグループが乱立し、色んなモノが出来上がっている所に出ていくのだから、和やかには無理やろ・・・と。
今から思いだせば少し恥ずかしい位なのだが、立ち上げ当時は技術も楽器も無く、やる気だけがムンムンしている目にやたらと力の入った男ばかりが倭太鼓飛龍を立ち上げた・・・。