以前から通っていらしゃった奥様に、ご主人の入れ歯を作ってほしいと、ご依頼がありました。
ご主人はとても元気で、お仕事も大好きで、ばりばりとなさっていらしゃるのだけども、肝臓癌の末期でした。
奥さまは、お食事を作る時には、軟らかいものを選んで、硬いものは軟らかくして、とても、気を使って作っていらしゃるようでした。
ご自宅でのお食事の時には、いいのですが、お出かけの際には、なかなか、召しあがれるものが少なく、お友達とのお食事などは、あまりお好きではなくなってしまたようです。
奥さまは、お食事を、もっと楽しんで食べてほしいと、心から、願っていらしゃいました。
そして、病気のことを、考えた時に、最後まで、おいしくお食事ができるようにと、一番いい入れ歯を作ってほしいといわれたのです。
ご主人がいらしゃったとき、ご主人は、
「いろんな歯医者にいったんだけど、硬いものが噛めないんだよー。
硬いものが、くいたいんだよなぁ。でも、金属の入れ歯はいやなんだ。
先生頼めるかい?」
何回か新しい入れ歯を作ったようなのですが、古い入れ歯をお使いでした。
たぶん、それでも、その古い小さくて、すり減った入れ歯が、一番噛めていたのだと思います。
痛いところを、調整して、とりあえず、使っていただきながら、
新しい入れ歯を作らせていただくことにしました。
わたしは、最後まで美味しくお食事を召し上がっていただくためにかめる入れ歯を作る責任があります。
大げさかもしれませんが、使命感がありました。
入歯が出来てからは、奥様と箱根にお食事に行かれたり、大好きな草加せんべいも召しあがれるように」なりました。
しばらくしてから、ご主人の様態が急に、悪くなり、帰らぬ人になってしまいました。
奥様から、「最後まで、生きたいと思っていたのよね。病院の食事は全部たべてたの。そして、亡くなる前の日まで草加せんべいの堅いのを、食べていたのよ。治してもらって、本当によかったわ。」
私は、なんでも食べられるようになって、もっと、元気になってほしいと願っていました。
少しでも長生きしてほしいと思っていました。
とても残念でなりません。もっといろいろなお話を聞かせていただきたかったのです。
ぼそ、ぼそ。っと職人であるご主人は、お話になるのですが、なんとも、やさしく、人間の大きさを感じる方でした。
そんな、ご主人ために、私が少しでも、お役にたてたことを、心より感謝し、ご冥福をお祈りいたします。