長いひとりごと~大災害時のボラについて
長くなるので閲覧注意笑
能登半島地震の惨状が、想像をはるかに超えて深刻さを増している。
津波や家屋の倒壊も酷いが、土砂崩れや液状化が恐ろしいことになっている。
でも、避難所の様子をニュースで見ると、311の教訓が生かされていないのに驚く。
未だに冷たい地べたに寝かされていたり、トイレ問題やゴミ同然の支援物資が山積み。
東日本大震災を経験した後、在宅被災生活が数か月続いて、心底思ったことをまた書きます。
もちろん【全国からのボランティアは大変ありがたく絶大なマンパワーで復旧出来たことに感謝!】を前提として。
家が無事だったとしても、会社も被災するから、ほとんどの現地人は失業状態に陥る。
二次、三次被災と広がり、立て直しは難しくなっていく。
その間給料が出る人もいるかもしれないが、バイトや自営業者はほぼ絶望的。
311並みの長期支援が必要になってくる。
被災者の中には、健康体であれば、何かしらの役に立ちたいと思う人多いはず。
しかし一般的には、被災者はいっしょくたに”可哀そうな人たち”で、避難所でおとなしく養生してください的雰囲気。
全国からなだれ込んでくるボラさんたちの勢いには、出る幕ありません。
というか、一緒になって無償で汗水流すのが現状。
収入を経たれて先行き見えないけど、元気な被災者がいる、働ける、ということを考えてほしい。
私は在宅被災者でしたが、収入ゼロが7か月続きました。
わずかでもいいから、その日の食費を稼ぐためのボラ活動がしたい!!と毎日思ってました。
こんなとき、無償ボラは当たり前、お金のことなど口にするのはタブーでしたから、全国からやってくるボラと一緒に泥かきやらにいそしみました。
移動のガソリンが入手出来ず、山形の知り合いがわざわざ運んで給油してくれたので活動できたのですが。
大災害時は、わずかな金額でも、”稼いでいる”という気持ちがモチベーションになります。
当時のあの状況下では、自分の場合、ガソリンとランチ代で、日当1000円で喜んで
発災から数カ月後、被災者雇用制度というのが出来て、優先的に仕事を与えられたのは10月でした。
それも、知り合いの口利きでやっと。
それまでは、運よく火災保険にくっついてた家財保険が満額降りて(そのための地震直後の証拠写真が必要)、
引っ越したばかりのアパートの家賃をなんとか払うことができたから、私はラッキーなほうでした。
ある程度インフラが回復してくると、災害ボランティアセンターが開設します。
ボランティア団体に属さない個人ボランティア受け入れシステムに、現地人の罹災証明と共に、報酬受け取り申請のようなものがついたらどうかと提案します。
罹災及び失業証明ボラは、一般ボラと線引きするべきと思う。
原資は、遠方から被災地へ入りたい個人が、その交通費を現地の被災者ボラの日当にする。
人出が足りなければ、ボラ団体から派遣(無償)される。
元気な被災者に報酬を払って、自分の代わりにがんばってもらう。という遠方からのあしながオジサン的な発想です。
寄付した先のボラセンの配信により、お金が直接被災者に届き、復旧していく様子も見ることができる。
現地の事は、地元民の方が地理も含めよくわかっているし、方言で苦労することも無いし。
被災者の自立にも貢献すると思うけどな。
義援金は、どんなふうに使われているか具体的に見えてこないけど、↑これなら毎日配信チェックしたくなって、被災地に愛着も湧いてきて、復興したら遊びに行きたくなるわ。
余談だが、私は311のとき猫島(田代島)にクラウドファンディングで寄付して、ずっと島の配信を見てました。
復興してから、猫のポーチや牡蠣が送られてきた。
自営業者はとくに、その専門的知識を生かした仕事があるはず。
311の時、津波で流出した写真、アルバムの仕分けや復元作業(写真加工)場があちこちにあったんですが、
得意分野でも私の入る余地はありませんでした。
PCが無事だったので、家でそれが出来たら、わずかでも報酬がもらえたら、何か月でもやるのになと思いました。
芸術関連を生業にしている自営業者などはもっと悲惨でした。
アートどころじゃない空気ですからね。
東京の有名なクリエーター集団が、自分たちの作品を売り、その売り上げを義援金に回すというプロジェクトがありました。
こっちにも、イケてる作品いっぱいあるのにな。
『被災地のアートをプロデュースして販売促進してくれたらいいのに』心のつぶやき
人気歌手がわんさか慰問に来て、屋外ステージでショーを見せてくれて、各被災地はたしかに盛り上がったけど、
被災地にもプロの歌手はいっぱいいるよ。
『ギャラを払って同ステージに出してくれたらいいのに』心のつぶやき
ゴミ集積所も被災するから、しばらくはゴミ収集が来ません。
避難所へ、期限切れの食品や使い物にならないゴミ同然の支援物資がわんさか届くこともあるあるなんですが、
そのトラックに、引き換えに避難所で出たゴミを積んで帰ってもらうことって、やってるんでしょうかね。
そうしてくれたらすごくありがたいですよね。
311の時は、仙台だけでも100年分の震災ゴミが出て、近所の公園がゴミ山脈となりました。
ボラについての問題はもうひとつ、得体のしれない悪質なNPO団体もすごい数で全国からなだれ込んできます。
国からの支援金を受け取り被災者を雇い、なにかしらの作業をさせるんですが、支援金を団体がちょろまかす、雇われたはずの被災者が実際活動してなかった、まぁいろいろありましたわ。
逮捕されたNPOもちらほらあったけど、国が監視できる規模じゃないから、野放しになってたわけです。
火事場泥棒や当たり屋(被災者の車を狙う)、避難所での性暴力など、犯罪のカオスでした。
被害内容から見ても、能登半島地震は太平洋沿岸部と同じくらい酷い。
震度7の破壊力って、すさまじい。
被災者を守るために今後とりあえず必要なものは、【支援金、監視の目、有償個人ボラシステム】。
311の教訓で現在のシステムがどう変わったかわからないし、個人的な感想なのであしからず
災害ボランティアセンターは、一般的に、被災した地域の社会福祉協議会やボランティア活動に関わっている関係団体、行政が協働して担うことが多い。被災地外から支援に駆けつける災害ボランティアセンターの運営経験者・団体が関わる場合もある。Wikipediaより