他人からの評価で、
「すごいね!」と褒められる時と、
「良いね!」と褒められる時がありますよね。
どちらも褒め言葉で、
評価されているわけですが、
「すごい」と「良い」は
若干中身の意味合いが違います。
私は昔、ミュージシャンを目指していて、
作詞・作曲、編曲、歌、演奏、
を一人ですべてやっていました。
若い頃、一時期
二人組のユニットを組んでいたのですが、
二人とも作詞作曲を手がけ、
二人とも歌を歌っていました。
編曲は私がやっていました。
ちなみに編曲というのは、
曲を形にする作業です。
どんなリズムにして、
楽器をどの編成にするか、
どの音色を使い、
どんな演奏の仕方をするか、
などですが、
当時はシンセサイザーで
それらのほとんどを
私が制作していました。
編曲以外は、
二人のやっていることは、
被ってるわけですね。
そこで、二人の作曲した作品を
織り交ぜたデモテープを作って、
友人、知人に聴かせるわけですが、
そこで
私の曲は、「すごいね!」という
感想が多かったわけです。
相方の曲は、「良い曲だね!」という
感想が多かったです。
これは、
私の曲は、編曲で凝っているものが多く、
歌以外の演奏や、
アレンジを聴かせる
マニアックな作風でした。
一方、相方は
メロディが良く、目指しいるところも
歌を聴かせる売れ線のポップスでした。
しかし、
面白いもので、相方は
「すごいね!」
と言われたがっている節があり、
私は、すごいね!と言われて嬉しい半面、
「良い曲だね!」、とは言われないことを
気にしていました。
私が言われている「すごい」部分は、
一人で編曲、演奏まで
すべてこなしている部分だったと思います。
しかし、
当時のそれは、プロの世界では、
当たり前の技術でもあり、
編曲のプロや、演奏のプロなどが、
力を合わせれば、
それ以上の
クォリティを出すことができることは、
私もわかっていました。
一人で全部できる人は、
プロでもあまりいないかもしれませんが、
すごいからと言って、
人は作品を買うわけではありません。
たとえば、
マライアキャリーが世に出た頃は、
5オクターブの音域が出る歌声として
すごい!と言われていましたが、
それだけで曲が
ヒットしていたわけでは
ありませんよね。
歌の良さ、曲の良さ、編曲の良さ、ヴィジュアルの良さ、
など、たくさんの「良い」部分が
あったからこそ
多くの人を魅了して売れたわけです。
また、最近では
素人のカラオケバトル番組で
プロよりも高得点を出す方もいます。
プロより、高得点は凄いですよね。
でも、カラオケで100点出して
すごいからといって
プロとして売れるとは
限りません。
プロの歌には、音程が正確だとか、
ビブラートの技術云々以上に、
人の感性に響いて魅了する
「良い味」が必ずあるわけです。
ですから、作曲においても、
良いね!と言われる曲は
売れる可能性が高いわけです。
良いから買う
という、シンプルな方程式です。
つまり、
「すごい」は必ずしも
心に響くものを与えることには
ならないわけですね。
すごいね、と言われると、
言われた方は、
何か特別な人間になったように
勘違いをして、
浮かれてしまうこともありますが、
良いね、とか、良かった、
と言われて、はじめて
人に対して有益なものを
与えたことになる
と、私は考えています。
すごいだけで終わってしまっては、
あまり意味がありません。
すごい、で売れるとしたら
サーカスや、大道芸などでしょうか。
それらは、人ができないような
ビックリするほどのことを
やるから価値が出るのですが、
仮に一時的に「すごい」だけで、
話題になって売れても、
同じ技ばかりでは、すぐに飽きられますし、
すごい、は、時代が経つと
たいがいは当たり前に
なってしまうものです。
本当に有益なものを提供した証として
はじめて「良いね!」「良かった!」
という言葉をいただけるんだと思います。
もちろん、すごいと褒められるのは
それはそれで、
悪いことではないですし、
すごい部分も持っていないと、
何かと発言に説得力が出てこないので、
必要な部分はあるのですが、
すごいだけで、
満足してはいけないのは
もちろんのこと、
すごいことを目指すよりは、
「良いね!」「良かった」と言われることを
目指しましょう、ということです。