『自分』なんてない | Dillon(ディロン)の神様視点スピリチュアルブログ

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目に見えない世界のメカニズムや法則を解説するスピリチュアルブログ。

今回はスピリチュアルでも、かなり高レベルな話をします。


ついて来れない方、理解できない場合は、いつか、この話を体感で認識できるようになった時の答え合わせとして、記憶に留めておいていただければ幸いです。

私自身も、この話を若い頃に父から聞かされて、「自分」」ですら「自分」じゃない?どういうこと?じゃあ、自分が今、自由に考えたり、思ったり、話したりするのはどういうこと???と、いう感覚で、理解できませんでしたから。それが、アラフィフとなってようやく体感的にも論理的にも理解できるようになったので、記録のつもりと、誰かが私のようにいつか答え合わせができるように、ここに記しておこうと思います。



人は、動物である以上、自己中心的であり、「自分」を大事にします。

また、人生とは、


「自分」とはなんぞや?


を探求する道であるとも言えます。


が、究極のところ、はっきり結論から言うと、


『自分』


なんてものは、ありません。


もう少し詳しく言うと、『自分』であって『自分』ではないということです。


自分はこう思う、自分はこう考える、自分はこういう性格だ、などと自分自身は認識していますが、そういうものは、神、つまり宇宙創造の意識から見れば、神という作者が創造した一つのキャラクターであるということです。


その証拠に、あなたは、未来の自分を自分でコントロールできますか?別の言い方をすれば、あなたは今まで思った通りの人間になれていますか?

大概の方は、そうではないと自覚しているはずです。

こうなりたかったけど、今はこうしている。こうなるつもりはなかったけど、なぜかこんな人生になっている。という感じだと思います。


人間は、自分自身のことすらまともにコントロールできないものなのです。


行動も、思いも。


こういう経験をしたら、自分だったらこう思うだろうなぁ…くらいの予想はできると思いますが、それだって、いざ実際に経験すると様々な感情や思い、考えが湧きあがっってくるものです。


「思う」ことすら、自分でコントロールできません。「人生やってみなければわからない」「経験が大事」という言葉は、それをよく表していますよね。


つまり、人間は「自分」「自分」と思っていても、しょせんは神による被造物だということです。

そして、自分が自由意志で思うことや、行動することも、ある意味で、そうなるように誘導されていると言いましょうか、プログラミングされていると言いましょうか。


自分の臓器だって、あなたが動かそうと思って動かしているわけではないでしょう。勝手に心臓が動き、勝手に血液の循環がなされ、肉体は勝手に運営されています。

そして、死にたくなくても勝手に劣化し、心臓がとまり、自分の意とは別に自動的に死んでいきます。


このことからも、人間は自由であるようで、ある意味自由ではなく、運命の流されるような感じで動かされている存在なのです。


たとえると、神が「漫画家」だとしたら、この世界に生きるものはすべて「キャラクター」であり、世界を表す背景なわけです。


だから、仮に表面意識で、Bさんが、Aさんのような生き方をしたくてAさんの真似をしようとしても、BさんがAさんと同じ人生になることは100%ないです。それが昔でいう「定め」「宿命」と言われるもので、別の言い方をすると、キャラクターの役割が決まっているということです。



何が言いたいかというと、つまり、「自分の思い通りにならなくても仕方がない」ということです。

そういうものだという話です。


そして、思ったように生きれず、「なんて自分はダメなんだ」とか「自分の努力や何かが足りなかった」とか悔いることはないですよ、ということです。


『自分なんてない』なんて話をすると、じゃあ努力も頑張りも工夫も意味がないのか?と思うかもしれませんが、それもまた違います。


漫画に出てくるキャラクターだって変化はあります。悪役として登場したけど後に善良なキャラになるということはあるでしょう。最初は主人公側の仲間だったが、敵側になってしまう物語の変化や紆余曲折があるように、自分自身の努力や頑張りによって物語の変化は必ずあります。


しかし、その結果を人間がコントロールすることはできません。良い、悪い、善、悪の判定は、人間にはできないことです。人間には何が良いことで、何が悪いことか、なんてわかりません。


ただ、何も起こらず、キャラクターの違いもないような漫画は面白くないですし、漫画、物語としても成り立たないですよね。

個性の違いや、キャラそれぞれのストーリーの違いの意味はそこにあります。


その違いをはっきり認識して、自分に与えられた宿命を考えて、精一杯、今の自分を輝かせる努力をし、関わる人たちへ愛の思いをもって接することで、死後、この世ではたとえようもないほどの幸福感のある世界に還るということです。


それが、仏教的には「天国へ還る」ということであり、キリスト教的には「永遠の命を得られる」ということです。


また、神(漫画の作者)からしたら、どんなキャラクターでもそれは神の一部なので、愛着はあるし、なんなら自身の分身として、この世界に存在して様々な経験をしているわけです。

ですから、どんな経験をしても、どんな過ちを犯していたとしても、それもまた神もまた味わっている経験、愛おしいと思っている経験として、自分自身の人生を愛してあげてほしいです。


余談ですが、私は漫画を描くのでその感覚が特によくわかるのですが、どんなに悪役でも、どんなちょい役でも自分が創ったキャラは愛おしいです。でも、やられ役や汚れ役も居なければ漫画は成り立ちません。

でも漫画家(作者)からしたら、どんなキャラにも裏ではスピンオフのドラマ設定をするものなので、主役だろうが悪役だろうがちょい役だろうが、やっぱり愛おしいんですよね。



まとめると…

『自分』『自我』に執着をせず、自分の運命を素直に受け入れて、自分が一番喜ぶ『自分に一番合った道』を見つけていきましょう!という話でした。


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