自由が身勝手に変わると自由を失う | Dillon(ディロン)の神様視点スピリチュアルブログ

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目に見えない世界のメカニズムや法則を解説するスピリチュアルブログ。


神様は人間に自由を与えていますが、
一方で自制心を持つことも
望んでいます。
 
 
なぜ
自由を与えておいて
わざわざ自制しなければ
いけないかというと、
 
この世は矛盾したものを
どううまく折り合いをつけて
 
 
いかにベストな生き方をするか
 
 
が、人間共通の課題だからです。
 
 
そして
自由の使い方を
はき違えると
大変なことになります。
 
 
たとえば
献血などに行くと
お菓子などが用意されていて
自由に食べて良いように
置かれています。
 
 
しかし
 
だからといって
それを1人の人間が
全部持って行ってしまったら
他の人に渡りませんよね。
 
 
そこに置かれているお菓子は
献血をしてくれる
多くの人のために置かれているわけで、
 
特定のたった1人に
全部あげるために
置いているわけではないですよね。
 
 
また
別の例でお話ししましょう。
 
若い頃、私は
ファミレスでバイトをしていました。
 
当初、
そのファミレスでは
まかないの一環で、
従業員はジュースが飲み放題でした。

しかし、
高校生バイトが
あまりにも大量に飲みすぎるため、
 
そのうち
1杯50円払うようになりましたが、
 
その50円は
箱の中に個々が
自己申告で入れるという
ルールでした。
 

初めはみんな
真面目に50円を入れていましたが、
 
そのうち
 
50円を入れずに飲む人が
出てきました。
 
信頼関係のもとに
そういった自己申告的な
ルールにしてたのですが、
 
みんなお金を払わずに
好き勝手飲むようになったので
 
 
結局
ジュースを飲むのは
禁止となりました。
 
このように、
自由を通り越して
自分勝手な自由になっていくと
権利を剥奪される
結果を招きます。
 
 
1人くらい、または
たまに50円を入れ忘れるていどなら
許されることでも、
 
あまりにも度が過ぎると
そういった制度そのものが
廃止になったりします。

そもそも
無料で自由に飲んで良いという
段階で、
 
個々が自制心をもって
適度に飲んで入れば
ずっと良心的な制度が
続いたわけです。
 

この世の法則も
同じようなもので
 
 
いくら神様が
自由を与えているとしても、
 
それを逆手にとって
 
自分だけが良ければ、という
行為をし続けると、
 
 
なんらかの形で
その自由を奪われることになります。
 
 
犯罪にさえならなければ
何をしても良い
という考えを持つ人もいますが、
 
これは
人の道として
間違っているということですね。
 
 
他人に害悪なのはもちろん、
 
結局、本人も多くの人から
批判され、憎まれ、
悪意を抱かれることに
なります。
 
 
そうなると、
めぐりめぐって
自分の運気が悪くなり、
 
打ち倒されることになるからです。
 

また、
人の迷惑や害悪を考えずに
 
自分勝手なことをする人が
増えれば増えるほど
 
法律が厳しくなり
決まりや罰則が増えていきます
 
 
何事も
程良い加減で自制しながら
自由を活かして満喫することが
暗黙の神様ルールです。
 
 
周りが優しくしてくれるから
と、いって
甘えてばかりいると
いつしか人は離れていきます。
 
神様もいっしょです。
 
ルールがないからといって
あまりにも好き放題にやって
問題が起きてくるようだと
 
その反作用として
痛い目に合うような
法則をあらかじめつくっているので
 
その法則によって
裁かれてしまうのです。
 
 
「自業自得」
 
「身から出たサビ」
 
「蒔いた種は自分で刈り取らなければいけない」
 
という言葉がそうですね。
 
 
ではその
ほど良い加減は
どうすれば良いのか・・・
 
 
それは残念ながら
ケースバイケースなので
 
人生経験をもとに
自分でうまく見極めるしか
ありません。
 
 
しかし
 
自分の行動が
誰かの役に立っていたり
 
周囲を心地良くするもであったり
誰も害さないのであれば
 
永遠に自由を約束される
 
とも言えます。
 
 
けしてひとりよがりにならず、
 
調和を意識しながら
自由を満喫して、
 
 
神様からの恩恵を
受け続けられるような自分になりましょう。
 
 
これは仏教では
 
「中道」
 
と言いますが、
 
 
「どれも中くらいで良い」という意味では
ありません。
 
 
一番適切な道という意味です。
 
その基準は
やはり自分も他人も良くなる生き方です。