この現実世界では人を判断する際に、
年齢、
職業、
どういった経歴や経験があるか、
などで考えるのが普通です。
しかし、それはあくまで
初対面の人に見当をつけるための
ごく限られた情報でしかありません。
人は今挙げたものに関わらず、
魂の器の違いというものが歴然とあります。
80歳になろうが心が狭く
愚痴や不平不満ばかりで子供のようにわがままな人もいれば、
小学生でもずば抜けて認識力が高く
人間としての意識レベルが高いと感じる子もいます。
職業でも、
どんな大きな会社の社長だろうと
人を人とも思わないような心が卑しい人はいますが、
一方、
フリーターや名も知れぬ会社員の中にも
縁ある方々を大事に慈愛の精神に満ちた
清らかなマインドの人もいます。
経験豊富な人でも、
それが自慢になり人を見下し
自分が一番正しいと思っているような天狗のような人もいれば、
経験がないからこそ
素直で実直に人の言うことを聴いて
誠実に生きる人もいます。
学歴にしてもそうですね。
良い大学を出た人が、愛があるかどうか?
それは自分だけが良い成績を取るために集中したあげく
自分のことしか考えられなくなってしまう人もいるかもしれません。
一方、中卒だろうが、
昔で言えば小学校しかろくに出ていない人であっても、
人との縁の大事さを知り、温かい心を持っている人もいます。
また松下幸之助のように
小学校しか出ていないのに
世界レベルの経営者として
人類に恩恵をもたらすような人もいます。
今は一般常識との比較のため、
前者をあまり良い表現にしませんでしたが、
要はそういった形に見えるもの、
誰もが確認できるようなものは
人間性を見る上で
実のところあまり当てにならない、
関係ない
ということです。
そして、神様の価値観で見るならば、
どれだけ自我ではなく、他人や周囲、人への
愛があるかどうか
が本当の魂の器として見ている部分です。
人の魂の器というものは、
その人と付き合っていくうちに感じられるもので、
ここの部分はまさにスピリチュアルな領域でしょう。
人と付き合う中で、
その「愛」があるかどうか、
そしてその人のマインドというものが
必ず節々に感じられるようなことが顕在化してきます。