20年ぶりに「人生が変わる旅路」が始まりました
――仮殿と中野新橋、そして人生の「遷宮」
このブログには、20年前に書いた、
『人生が変わる旅路』
というシリーズが残っています。
第1回の投稿日は、
2006年8月16日。
実はこの文章、最初からブログのために書いたものではありません。
当時、mixi日記に書いていたものを、後からこのブログに転載したものです。
そして20年後の今。
まったく計画していなかったのに、
『人生が変わる旅路Ⅱ』
が始まりました。
きっかけとなったのは、
2026年8月15日。
ほぼ、ぴったり20年後でした。
しかも、不思議なのは日付だけではありません。
二つのシリーズが生まれた時の、
私自身の人生の状態まで、驚くほど似ていたのです。
20年前、私は鳶職をしていました
2006年頃。
私は、それまでの人生とはまったく違う世界にいました。
長年やってきたキネシオロジーからも一度離れ、
「先生」という立場も横に置き、
鳶職をしながら、深夜には居酒屋でも働いていました。
睡眠時間は、わずか3時間ほど。
今振り返ると、
「よくやっていたな」と思います(笑)。
でも、あの時間は、
私にとって必要だったのだと思います。
キネシオロジーの専門家でもない。
セミナー講師でもない。
誰かから「先生」と呼ばれる人でもない。
それまで身につけてきた肩書きが何も通用しない世界で、
ただの一人の人間として、自分の人生を生きていました。
そして、
鳶職を卒業する最後の一週間。
突然、
「この一年間に体験したことを、今、書いておかなければ」
というような衝動が湧いてきました。
誰かに頼まれたわけでもありません。
出版する予定があったわけでもない。
集客のためでもありません。
ただ、
書かずにはいられなかった。
ただでさえ3時間しかなかった睡眠時間を、さらに削って(笑)、
mixi日記に一気に書き続けました。
それが、
『人生が変わる旅路・シリーズ1』
でした。
そして20年後、また人生が大きく動いた
2026年。
66歳になった私は、
再び人生の大きな転換点に立つことになりました。
15年間暮らした豊洲を離れました。
たくさんの荷物をトランクルームに預け、
8月1日から、
中野新橋で仮住まいを始めました。
生活も変わった。
仕事のあり方も変わった。
人間関係も変わった。
それまで「自分の人生」だと思っていたものが、
一つずつ形を変えていきました。
当然、最初は、
「ここから、どうやって立て直そう?」
と考えました。
また新しい事業をつくろう。
新しい講座をつくろう。
人を集めよう。
売上をつくろう。
もう一度、上へ向かって走り出そう。
これまでの私なら、
間違いなくそうしていたと思います。
ところが今回は、
どうしても、その気になれない。
以前のようなモチベーションが湧いてこない。
そこで私は、
無理に次のゴールをつくることを、
いったんやめてみました。
「次は、どんな暮らしをしたいんだろう?」
仕事だけではありません。
住まいについても、
一度ゼロから考えてみることにしました。
これまでのように、
大きな場所を持つことが本当に必要なのか。
自分のサロンを持ち、
そこへ人を集める生き方を、
これからも続けたいのか。
そんな時に知ったのが、
「ソーシャル・アパートメント」
という暮らし方でした。
自分の個室を持ちながら、
共有のラウンジなどがあり、
住人同士が自然につながっていく。
「こんな暮らし方もあるのか」
と興味を持ちました。
ちょうど清澄白河で見学会があることを知り、
申し込みました。
8月15日、清澄白河へ行ったら祭りだった
2026年8月15日。
私は、
ソーシャル・アパートメントを見るために、
清澄白河へ向かいました。
富岡八幡宮へ行こうと思っていたわけではありません。
ところが街へ出てみると、
いつもとは様子が違う。
富岡八幡宮のお祭りで、神輿が出ていました。
大勢の人たちが、神輿とともに歩いている。
その行列は、富岡八幡宮まで続いていました。
私は何となく、見学会が終わった後に、
その流れについて歩いていきました。
そして、
気がついたら、
富岡八幡宮に辿り着いていました。
そこは、15年間暮らした土地の産土神社だった
富岡八幡宮は、
私が15年間暮らしてきた豊洲の、
産土神社です。
8月1日に豊洲を離れ、
まだ、わずか2週間。
次の人生を探しに、
新しい暮らし方を見に行ったはずなのに、
その帰り道、
私は15年間お世話になった土地の産土神社へ戻ってきていました。
しかも、
自分から行こうと思ったわけではない。
たまたま祭りの日だった。
たまたま神輿の行列に出会った。
その流れについて歩いていたら、
そこへ辿り着いた。
私には、
「呼ばれた」
としか思えませんでした。
そして、そこに「仮殿」があった
ところが、
さらに驚いたことがありました。
富岡八幡宮は、
400年記念事業として社殿の改修が行われていました。
そのため、
本来の社殿の隣に、
「仮殿」
私は、
その仮殿に参拝しました。
そして、その時です。
突然、
「あれ? これ、今の自分と同じじゃないか」
と思ったのです。
「俺も今、仮住まいじゃないか」
私は8月1日に、
15年間暮らした豊洲を離れました。
たくさんの荷物をトランクルームに預け、
中野新橋で、
知人のご厚意による仮住まいをしています。
次にどこへ住むのかも、
まだ決まっていません。
少し前までの私なら、
そんな今の自分を、
どこかで、
「落ちぶれた」
と見ていたのかもしれません。
豊洲の生活を維持できなくなった。
自分の家を失った。
仮住まいになった。
人生が縮小した。
早くここから抜け出して、
もう一度元の場所へ戻らなければ。
そんな感覚が、どこかにありました。
でも、
目の前にある富岡八幡宮の仮殿を見た瞬間、
その意味が反転したのです。
仮殿は「落ちぶれた神社」なのか?
もちろん、
そんなはずはありません。
本殿を改修している間、
一時的に仮殿へ遷る。
仮殿だから、
神社の価値が下がったわけではない。
格が落ちたわけでもない。
次の時代へ移るために、
一時的に場所を移している。
そう考えた瞬間、
自分自身の今の状態が、
まったく違って見え始めました。
「そうか。俺も今、仮殿にいるんだ。」
そこから「式年遷宮」が浮かんできた
そして、
もう一つのことが頭に浮かびました。
式年遷宮。
なぜ神社は、
古い建物を永久保存するのではなく、
一定の周期で建て替えるのだろう?
建物そのものを残したいのであれば、
ピラミッドのように、
何千年も残る頑丈なものをつくればいい。
でも、
式年遷宮はそうではありません。
建て替える。
古い建物はなくなる。
でも、
そのたびに、
木を選ぶ人がいる。
木を切る人がいる。
加工する人がいる。
組み上げる人がいる。
先輩から後輩へ。
師から弟子へ。
「どう建てるのか」
という技術と知恵が、
身体から身体へ受け継がれていく。
そこで、
私は気づきました。
残すべきものは「建物」だけではない
式年遷宮が継承しているものは、
完成した建物というハードだけではない。
「どう建てるのか」というソフトと、
それを実際にできる人たち。
それを、
世代を超えて継承している。
もし完成した建物だけを永久保存したら、
いつか、
その建物をどうつくったのかを知る人が、
いなくなるかもしれない。
でも、
繰り返し建て直すことで、
技術が実践され、
知恵が生きたまま次の世代へ渡っていく。
その時、
自分の35年間まで、
一気につながってきました。
私は、自分の「ピラミッド」を
残そうとしていたのかもしれない
私は長い間、
自分が築いてきたものを残そうとしてきました。
キネシオロジー。
ブレイン・アップデート。
協会。
講座。
サロン。
教材。
自分のメソッド。
ブランド。
もっと大きくしたい。
もっと多くの人に広げたい。
自分がいなくなっても残るものをつくりたい。
ある意味、
自分の「ピラミッド」をつくろうとしていた
のかもしれません。
でも、
本当に残したかったものは、
それなのだろうか?
私が35年間、本当に伝えたかったもの
今回、自分の人生を振り返る中で、
少しずつ分かってきました。
私が本当に伝えたかったのは、
キネシオロジーという技術そのものだけではなかった。
人の身体をどう見るのか。
身体の声をどう聴くのか。
人を変えようとするのではなく、
その人自身の生命が動き始めるのを、
どう待つのか。
人が安心して、
身体とつながり、
心とつながり、
自分自身とつながっていく。
そして、
本来の自分として、
もう一度人生を生き始める。
そのための、
「あり方」と「場のつくり方」。
それこそが、
私が35年間かけて受け取り、
実践し、
次へ渡したいものなのかもしれない。
完成した「建物」ではなく、
建て方そのものを渡す。
富岡八幡宮の仮殿の前で、
そんなことが一気につながり始めたのです。
そして、今いる場所は
「中野新橋」だった
そこまで考えて、
もう一つ気づきました。
今、
私が仮住まいしている場所。
それは、
「中野新橋」
です。
もちろん、
これは地名の由来の話ではありません。
今の私が、
この名前に勝手に見出したメタファーです。
でも、
妙に腑に落ちたのです。
「中」と「橋」。
私はこれまで、
どちらか一方へ向かおうとしてきたのかもしれません。
成功か、失敗か。
豊かさか、貧しさか。
勝つか、負けるか。
上昇か、下降か。
認められるか、認められないか。
陰か、陽か。
どちらかを「正解」にして、
反対側を否定する。
でも今、
そのどちらかへ行くのではなく、
陰と陽の間に立ってみる。
両方を、
自分の人生として受け取ってみる。
東洋思想でいう、
「中庸」
です。
中庸を渡る「新しい橋」
そう考えると、
今いる「中野新橋」という場所が、
私には、
「中庸の橋」
のように思えてきました。
しかも、
ただの橋ではない。
「新橋」――新しい橋。
古い人生と、
これから始まる人生の間。
陰と陽の間。
過去と未来の間。
成功と失敗の間。
私は今、
その二つをつなぐ、
新しい橋の上にいる。
そう思うと、
仮住まいであることまで、
自然に思えてきました。
橋の上に、家を建てなくていい
橋は、
住み続ける場所ではありません。
向こう岸へ渡るための場所です。
だったら、
今ここで、
次の人生を完成させなくてもいい。
急いで答えを出さなくてもいい。
今は、
渡っている途中なのだから。
富岡八幡宮の神様が、
社殿を新しくする間、
仮殿に遷られているように。
私も、
古い人生から新しい人生へ移る途中、
一時的な場所にいる。
もしかすると、
これは「転落」ではなく、
私自身の人生の「遷宮」なのかもしれない。
そんなふうに思い始めました。
そこから、35年間の答え合わせが始まった
この気づきが、
スイッチになりました。
そこから、
自分の人生を猛烈な勢いで振り返り始めました。
一つの出来事を思い出す。
すると、
「あれも、ここにつながっていた」
と気づく。
さらに遡る。
また、つながる。
そして気がつけば、
31歳で若本先生の身体心理療法学院に入った頃まで、
戻っていました。
若本先生から教わったこと。
その師である伊東先生から受け取ったもの。
天河神社での体験。
キネシオロジーとの出会い。
その後の成功。
挫折。
鳶職。
再出発。
ブレイン・アップデート。
協会。
家族。
仕事。
お金。
人との出会いと別れ。
自分が追い求めてきた「成功」。
そして、
「自分は何者になろうとしていたのか」
という問い。
バラバラだった人生の出来事が、
一本の線としてつながり始めました。
私は、
ほぼ5日間、
何かに突き動かされるように、
一気に書き続けました。
それが、
『人生が変わる旅路Ⅱ――35年間の答え合わせ』
になりました。
そして、20年前の記事を見て驚いた
そこまで書いた後、
ふと、
20年前に書いた、
『人生が変わる旅路』
のことを思い出しました。
そして、
このブログに残っている記事を見て、
驚きました。
第1回の投稿日。
2006年8月16日。
今回、
富岡八幡宮の仮殿でスイッチが入ったのが、
2026年8月15日。
ほぼ、
ぴったり20年。
しかも、書き方まで同じだった
20年前。
鳶職を卒業する最後の一週間。
睡眠時間3時間という生活の中で、
その睡眠時間さえ削って、
何かに突き動かされるように、
mixi日記を書き続けた。
そして20年後。
15年間暮らした豊洲を離れ、
中野新橋で仮住まいをし、
これからどう生きるのかも決まっていない中、
偶然の連続から産土神社の仮殿へ辿り着き、
そこから、
ほぼ7日間、
また何かに突き動かされるように書き続けた。
私は、
「20年後にシリーズ2を書こう」
なんて、一度も考えていませんでした。
全部、
後から気づいたことです。
人生は、円ではなく「螺旋」なのかもしれない
20年前と、
同じ場所へ戻ってきたようにも見えます。
でも、
同じ場所ではありません。
20年前の私は、
一度すべてを手放した後、
「ここから、もう一度成功してやろう」
というエネルギーを持っていました。
もっと大きくなりたい。
もっと認められたい。
もっと多くの人に伝えたい。
自分の可能性を証明したい。
そのエネルギーが、
その後の20年間を走る力にもなりました。
でも、
66歳の今は、
少し違います。
今の私は、
「もう何者かにならなくてもいいとしたら、私はどう生きたいんだろう?」
というところに立っています。
だから、
人生は円ではなく、
螺旋なのかもしれない
と思うのです。
同じテーマが、
何度も人生に現れる。
一周して、
同じ場所に戻ってきたように見える。
でも、
その間に生きた人生の分だけ、
以前とは違う高さから、
同じテーマを見ることができる。
2006 → 2026
2006年8月16日
『人生が変わる旅路・シリーズ1』
【2006年の記事へのリンク】
そして20年後。
2026年8月15日
新しい暮らし方を探して出かけた先で、
偶然、神輿の行列に出会い、
その流れについて歩いた先にあった、
豊洲の産土神社・富岡八幡宮。
そこで、
今の自分と同じ、
「仮殿」
に出会ったことから始まった、
『人生が変わる旅路Ⅱ――35年間の答え合わせ』
【noteへのリンク】
今度の旅は、私にも結末が分からない
20年前の私は、
未来をつくろうとしていました。
今の私は、
未来の方向はセットするけれど、
そこへ至る道筋まで、最初から決めなくてもいい
と思い始めています。
考えてみれば、
これは35年間、
私がセッションでやってきたことでした。
最初に、
セットアップする。
でも、
何が出てくるのかは決めない。
どんな記憶につながるのか。
身体が何を示すのか。
どこへ着地するのか。
最初から全部を決めることはできません。
だから、
セットアップしたら、
あとはライブを楽しむ。
途中、
「えっ、そっちへ行くの?」
ということが起きる。
でも最後には、
思いもしなかったことが一本につながり、
「ああ、全部これでよかったんだ」
という場所へ着地する。
私は35年間、
人のセッションの中で、
それを何度も見てきました。
だったら、人生でもやってみよう
必要なことが、
必要なタイミングで、
必要なだけ起きる。
私は、
セッションではそれを信頼してきました。
だったら今度は、
自分の人生でも、それをやってみよう。
未来を全部コントロールしようとするのではなく、
方向をセットアップしたら、
現地で起きることに応答していく。
考えてみれば、
8月15日の出来事そのものが、
すでにそうでした。
私は、
富岡八幡宮を目的地にしていなかった。
次の暮らし方を探して、
清澄白河へ行った。
そこで祭りに遭遇した。
神輿について歩いた。
すると、
産土神社へ辿り着いた。
そこで仮殿を見た。
そして、
人生の見え方が変わった。
地図にはなかった場所へ、
現地が私を連れていった。
だから今は、
この先が分からなくてもいいと思っています。
20年ぶりの、
『人生が変わる旅路』。
今度は、
成功するための旅ではなく、
本来の自分として、この人生そのものを味わう旅。
古い社殿から出て、
仮殿に移り、
新しい橋を渡っている途中です。
橋の向こうに何があるのか、
まだ私にも分かりません。
でも、
それでいい。
セットアップしたら、
あとはライブを楽しむ。
2026年8月。
66歳。
ここから、
『人生が変わる旅路・シリーズ2』
の始まりです。
「人生が変わる旅路」シリーズ1
「人生が変わる旅路」シリーズ2
20年前、私はAIのない時代に、3時間しかない睡眠時間を削って、
自分の内側から突き上げてくるものを、そのままmixi日記に書いた。
20年後、私はAIと対話しながら、35年間に散らばった自分の人生の断片をつなぎ直した。
書き方はまったく違う。
でも、共通していたことが一つある。
最初から、結末を知らなかった。
書きながら、自分自身が次に何が出てくるのかを見ていた。
だから、20年前も今回も、
「セットアップしたら、あとはライブ」
だったのだと思う。
良かったら、読み比べてみてくださいね。



