【人生を変える旅路18】実家の父の着物を着て感じたこと | あなたの人生が一瞬で変わる田仲真治のブレイン・アップデート・キネシオロジー

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久しぶりに浜松の実家に帰ってきました。

 

父は95歳、母は96歳

 

少しボケて来てはいるものの元気です。

 

 

 

私には三人の母がいて、

 

生みの母は、3歳になる1ヶ月前に亡くなり

 

二番目の母には、5歳から14歳まで育ててもらいました。

 

 

そして三番目の母は、15歳(中三)の時

 

丁度、父は49歳、母は50歳の時に結婚し

 

18歳(高校卒業)まで一緒に暮らすことになりました。

 

 

 

 

今日は、剣舞を習っていた父の着物がたくさんあるので

 

それをどう処分するかを姉と相談していました。

 

 

 

50歳までは無趣味だった父が

 

三番目の母と結婚してから

 

色々なお稽古ごとをするようになりました。

 

詩吟、三味線、剣舞、社交ダンス、カラオケ、などなど

 

 

そして、76歳からは、あらゆるお稽古ごとの仲間を

 

一同に集めて、「晴山会」という催しが年に1回開催されるようになりました。

(本名が田中晴雄:芸名が田中晴山に因んで付けられました)

 

普通は、詩吟は詩吟、剣舞は剣舞というように

 

それぞれの会はバラバラで交流がないものを

 

横断的に関わっていた父が、

 

カラオケをバックに剣舞や社交ダンスを踊ったり、

 

という企画で始めたところ、

 

市民センターのホールが始まって以来の

大盛況となったそうです。

 

 

それ以来、16年間に渡って毎年開催され、

地域の恒例行事となっていきました。

 

 

そして、3年前

関係者の皆さんの高齢化に伴い

父が92歳の年で終了となりました。

 

 

 

 

 

父は、ウエルス・ダイナミックスで分類するならば

右上の「スター(人気者)」に該当するのだと思います。

 

 

【スター】が富を生む鍵
「独自のアイデンティティ(存在価値)を確立すること」

このプロファイルの人たちは創造力があり、外向的です。まわりの人たちの反応からヒントを得ます。

自分が目立てば目立つほど、寛いだ気分になり、より多くのものを引き寄せます。

他の人が生み出し、他の人が大きくしたコンテンツを、彼ら独自の形に変え、包装を施すことで財産

を築くことができます。

スターの成功者にはアーノルド・シュワルツェネッガー、ポール・ニューマン、オプラ・ウィンフリー

などが挙げられます。

 

 

この性格を受け継いでいるのは、兄弟の中では、私だけのようです。

 

また、仕事の面でも

 

父は長年に渡り、健康食品の販売の仕事をしており

 

西洋医学のクスリの危険性を訴え続けて来ました。

 

 

私は、キネシオロジーをブレイン・アップデートという独自の形に変え

この度、DVD を出版することで、世界中の人に真の根治療法を提供しています。

 

 

今後、コロナウイルスが落ち着いて、

 

海外でのカンファレンスなどの参加する機会ができた時には

 

父の着物と袴を着てステージに立ちたいと思っています。

 

 

 

 

さらに、行李の中の着物を調べていると

 

大島紬が出て来ました。

 

 

これは、父と三番目の母が結婚したばかりの時に購入したものです。

 

 

袖を通してみると、ピッタリでした。

 

 

 

 

三番目の母は、浜松の高級料亭の中居さんを長年勤めていたこともあり

 

とても品のある人です。

 

着物であれ、何であれ 質の高いものを厳選する性格で

 

その母が選んだ大島紬の着物を着てみたところ

 

父と母の思いが伝わって来て

 

内側に様々な思いが湧いてきました。

 

 

 

私は、早く家を出たいと思っていたので

 

中学を卒業したら、どこかに就職して

家を出るつもりでいました。

 

 

一方、母の方は、高級料亭に勤めていたので

お客さんは一流企業の社長ばかり

 

その社長さんの後妻としての

話がたくさん来ていたそうです。

 

 

しかし、お金持ちのエリートの家庭に後妻として入ると

夫に先立たれた後は、子ども達との遺産相続で争うことに

なることが予想され、それがイヤで断って来たそうです。

 

 

だから、お金はなくてもいいから

子どもに会わせてもらって

「この子となら一緒にやっていけそう」

と思えた人と結婚しようと決めていたそうです。

 

 

 

それまで、私は

二番目の母との関係では、

 

「本当のお母さんじゃない」

「お母さんの本当の子どもじゃないから…」

ということがずっと引っかかっていて

 

それが元で、母子間での様々な確執が積み重なって行きました。

 

二番目の母は、両親から結婚を反対され

生まれたばかりの子どもを置いて、別れることになったそうです。

 

だから、その子のことがずっと気になっていたんですね。

 

 

その子の方は、おばあちゃんに育てられ

「あなたのお母さんは、あなたを生んですぐ死んだのよ」

と言われて育てられて来たそうです。

 

 

そして、その子が学校を卒業し、社会に出るようになった時に

「本当はあなたのお母さんは生きているのよ」

 

と教えてもらい、母と時々会うようになっていたそうです。

 

 

そして、

「お母さんが、よその子を育てていて、そんなに苦労しているなら

僕と一緒に暮らそうよ!」

 

と言われて、その子の元に戻ることになったのでした。

 

 

 

二番目の母に対しては、

たくさん反抗をしたものの

出て行った後は、ポッカリ穴が開いたような

寂しさを感じていました。

 

 

今、思うと半分不貞腐れた気分で

家を出ようとしていたのだと思います。

 

 

そんな私に対して、三番目の母は

「私は、あなたのことを見て

この子となら、お母さんになれなくても友達にはなれる

と思ったから、あなたのお父さんと結婚することを決めたのよ!

だから、中学を卒業したくらいで家を出るなんて言わないで

一緒に暮らしましょう!」

 

と言ってくれました。

 

 

それは、

「私の全存在を初めて丸ごと受け入れてもらえた」

と感じた最初の経験でした。

 

 

そのお陰で、姉や兄が味わえなかった

普通の高校生活を送ることができました。

 

 

と言いますのは、

 

姉は、中学を卒業すると同時に独立し

それ以降、親からの金銭的な援助を一切受けずに

看護師の見習いをしながら定時制高校に通い

自分で貯めたお金で大学に行き

正看護師の資格を取りました。

 

 

兄の方は、

二番目の母が置いて来た子どもと

同じ歳だった為、

最初は、我が子のように期待され

可愛がられましたが、

 

母の内側では、

「この子に良くしてあげればあげるほど

私の実の子は、きっと辛い目に合っているに違いない」

という気持ちが湧き上がり

「可愛さと憎さ」の葛藤で苦しんでいたようです。

 

 

そんな中で、兄は高校に進学したものの

後半は学費はバイトして自分で稼いで通うようになっていたのでした。

 

 

そんなわけで、三人姉弟の中で

私だけが、ごく普通の幸せで穏やかな高校生活を送ることができました。

 

 

父が三番目の母と結婚してから

私にとって、とても驚いたエピソードがあります。

 

それは、

 

学校に傘を持たずに行き

 

帰りに、雨が降って来た日のことでした。

 

 

学校の玄関の前に、父が車で迎えに来てくれたのです。

 

 

それまでは、

「傘を忘れても、自分の責任だから濡れて帰ってくればいい」

という方針で、父はほとんど子育てに関わっていませんでした。

 

それが、三番目の母から

「そんなの可愛そうだから、迎えに行って上げて!」

と言われて迎えに来てくれたのです。

 

 

 

そんなことから始まって

三番目の母との4年間の生活は、

私のそれまでの

「本当の子どもじゃないから」

「本当のお母さんじゃないから」

という、どうしようも出来ない欠乏感を埋める為の

リハビリ期間だったような気がします。

 

 

 

父にしても

二番目の母と別れてから

 

それまで経営していた食堂(餃子屋)を閉じ

健康食品の仕事に専念するようになりました。

 

 

そのお陰で時間の余裕ができ

父と少林寺拳法の道場に通うようになりました。

 

それまで、父は子育てにほとんど関わっていなかったので

親子で一緒に道場に通うなんて考えられないことでした。

ここで、父との絆も取り戻したように思います。

 

また、少林寺拳法で学んだ

経絡秘孔、禅(瞑想)、拳禅一如、整法

といったものが、その後のキネシオロジーに繋がっていきます。

 

 

 

母は、様々な形で父を支えてくれ

 

それまで抑えていた父のスター性が華開き

晴山会を主宰するまでになりました。

 

 

父と母は健康食品のビジネスで成功し

世界中を旅して歩くまでになりました。

 

 

今では、二人とも95歳を過ぎ

白髪頭のお爺ちゃん、お婆ちゃんになっています。

 

 

 

 

 

大島紬に腕を通した時、

 

これを着て、父母が写真を撮った時は

父が50歳、母が51歳。

 

そして、私は今60歳。

 

 

父と母が再婚した時の歳を

とっくに過ぎているんだな…

 

 

と思うと、

 

子どもの立場・視点で捉えていた

父と母のことが

 

同じ人間同士の人生のドラマとして

捉えることが出来ました。

 

 

 

いつもセミナーやセッションの最後にする質問を

自分にもしてみました。

 

 

 

「もし、仮にタイムマシーンがあって

過去をやり直すことが出来たとしたら

あなたは、やり直しますか?」

 

 

 

「いいえ、あの時のことがあったからこそ

今があり、これからの未来があります。

 

もし、この経験の一つでも違っていたら

キネシオロジーにも出会っていなかったし

 

たとえ出会っていたとしても

 

その人の人生そのものまで

深く働きかけるようなワークをすることに

興味を持つことはなかったと思います。

 

きっとブレイン・アップデートを確立することも

DVDを出版することもなかったでしょう。

 

 

 

二番目の母やその実の子も

離れ離れに暮らしながらも

最後には、一緒に暮らせるようになり

幸せな結末だと思います。

 

 

姉は、あねで小さい頃から自立し

看護師として65歳を過ぎた今でも

必要とされ働く事ができて

幸せだと言っています。

 

兄も、高校に行きながらバイトをしていた事が

キッカケとなって、今では同じ業種の会社を経営し

都内に一軒家を建て、子どもも家業を継いでいます。

 

 

三人兄弟とも、子ども時代に苦労を共にした

戦友のような一体感がある為

深い絆で繋がっている感じがします。

 

父の人生も波乱万丈でしたが

別れてもすぐに次の伴侶が現れ

しっかりものの女性に支えられながら

好き放題の人生を歩んでいます。

 

三番目の母も

50歳で初婚だった為、

 

最初に14歳〜18歳の私の子育てを経験し

次に姉の子どもを0歳〜14歳まで面倒を見る経験をし

一番大きな子どもとして、父を支え続ける事で

できなかった子育てを完結し

今では、少しボケることで

自分自身が子どもを経験中です。

 

 

実の母は、

私の人生のステージを

早い段階で退くことになりましたが

ずっと観客席で私の演技を見守ってくれています。

 

 

最初はハラハラしていたと思いますが

今は、安心して見守ってくれていることと思います。

 

 

 

全てがパーフェクトです。

 

だから、たとえ過去に戻ったとしても

 

そっと影から見守り

 

 

『今は辛かったり、理不尽に思えていたとしても

必ず、後からその意味がわかるから

大丈夫だよ!

今は、その感情をしっかり味わうんだよ!」

 

と言いますね。

 

 

 

 

 

 

長文、お付き合いいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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