統計という言葉を聞くとそれだけで面倒くさいと思う方もいると思う。

しかし、統計は心理学を学ぶ上において、どうしても知っておかなければならない。

なぜ心理学の勉強の中において、統計を学ばなければならないかということからお話しよう。

ゲシタルトとは、皆さんも既にご存知のように全体を示すものである。

これらのゲシタルトを数字で表さなければならないような場面に直面したとき、一体、どのようにして数字を表したら良いだらうか。

また、あることがらを量で知ろうとする場合、どのようにして知ろうとするか。

また、過去からの推移をどのようにして知るかなど、多くの課題はこの統計学によらなければならない。

例えば、ある集団の健康状態を知るために、体重とか身長とか、年齢層の状態を調べるのにどうしたら良いかなど事象解析の実務の上において直面する問題である。

これらは統計学者に任せてしまえば良いではないかと考える方もおられると思うが、解析者がその段階まででも、統計という概念を持っていなければ診断する上においても、分析的資料を集める上においても支障をきたすことになる。

事象解析をする上において、嫌でも学んでおかなければならない。

統計とは、集団全体としての規則性をおのおのの場合に適した数値によって表そうとしたものである。

すなわち、個々の数値ではなく、集団を表す数値というところに、統計的な考え方の基礎的な概念を把握しておかなければならない。

統計学のもっとも初歩である「平均値」、「平均値」とは統計学を学ぶ上でもっとも初歩のものであり、基本的で重要な部面である。

例えば、3と7の平均値は5であると、ただ単に(3+7)÷2=5という数式で学んできた。

しかし、統計的な概念からいうと、ある小ゲシタルトの構成要因として3と7が集まってできていると考える。

必ず集団を前提に考えるということが大切であり、その集団の下にある要因の持つ代表値が「平均値」であるというように考えることが統計を早く理解することになる。

条件を抽出したり、分析を行おうとすると、そこに「資料の収集」という問題が起こる。

「資料の収集」に先立って調査という問題が起こるのであるが、調査を学ぶ以前の課題として種々の資料の性格について知っておかなければならない。

ただ、資料を集めてさえいれば、その目的にかなうのだと思われやすいが、統制された資料の性格に基づいた収集法を知っておかなければならない。

まず大切なことは、資料を収集するにあたって資料の性格をよく知っておくことが、その収集の方法や方向を決定するのに便利である。

資料収集の対象となるものは、日常、われわれの周囲に無数に存在している。

見ること、聞くこと、なすこと、資料収集の対象とならないものはない。

それらのすべてが、いつも資料として成立しているのではなく、解析の上に立ってはじめてそれが資料として成立するか、あるいは成立しないかが決定されるものであることを知らなければならない。

一般に、統計書、歴史、地理、経済書などの参考書を資料であるとして考えやすいが、それらは必ずしも資料として成立するものではない。

資料としての範囲は解析上必要とされる範囲に限定さらることになる。

この前提に立った資料は、性格的に見て、次の三つの部面に分けることができる。

1)経験的資料

「経験的資料」とは、すべに実験・観察などがなされ、その結果を記録してもので、例えば、地理地形の記録、民族、法律、歴史、経済、文学、各種統計書などの参考書、並びに、既製された記録などがあげられる。

一般に、われわれが何々の資料と呼んでいるものの多くは、これらの記録書を指向するものである。

2)実験的資料

解析のための各種実験を行い、その結果が資料として成立するものであって、一見すると、「経験的資料」と同一視されやすいものであるが、資料の性格としては異なるものである。

 

「経験的資料」を静態的な資料と言うならば、「実験的資料」は動態的な資料と言うべきものであろう。

なぜ、このように資料の性格を分けておかなければならないかと言うならば、資料の収集において、その方向がおのずから異なってくるからである。

「実験的資料」の場合には収集という段階において選択性があるが、資料を作り出す必要がない。

 

これに対して、「実験的資料」は、最初から、その解析目的にそった資料を作り出さなければならないという特性を持っている。

したがって、資料の収集という段階において異なりを生じるのである。

3)誘導的資料

解析のために、実際に調査を行って情報的に得たものである。

一般に調査と呼ばれる場合は、この「誘導的資料」の収集を目的とすることが多い。

例えば、解析のために、ある統計書が参考になるという情報は「誘導的資料」であり、その参考書は「経験的資料」である。

ここで、資料の性格から、「報道」と「情報」ということについて知っておこう。

一般的には「情報」と「報道」が混同されやすく、ややもすると、その判断に誤りを犯しやすい。

「報道」とはすでにまとめられたものを言い、静態的なものが多い。

「情報」とは、まとめられていないもので、将来それをまためなければならないという活動が要求されるものである。

よって、「報道」とはニュース、話、広告などが指向される。

これは、資料としては「経験的資料」の中に入ってくるもので、これらは「情報」をすでにまとめあげたものだからである。

よって、「報道」はまとめられているが、「情報」は非常に断片的なものが多い。

ここに「誘導的資料」の収集法において、種々の問題が起こるわけである。