心は鍛えたり強くすることはできない。

なぜかといえば科学的に心は存在しない。

便宜的に心と読んでいるだけで、心は情報処理現象のこと。

強化や鍛錬はできない。

では、心にネガティブが宿るのはどうしてなのか。

それは生物進化の中での生存技術。

同じ失敗を繰り返さないためのリスク回避の技術。

これが時々味わっている嫌な気持ちです。

嫌な気持ちの原因となる嫌な思い出は、脳に貯蔵されているのではない。

思い出には取り出し口、大脳辺縁系の海馬が思い出のノブ、その海馬を回して開ける手こそが偏桃体。

その手が慌てて強く引き出したりする、それが強く思い出される、それが情動を印象ずけていく。

偏桃体、海馬、それが前頭前野に送られと思い出にキャッチコピーをつけていく。

それが嫌な思い出になる。

大体付けられるキャッチコピーは決められています。

許せない、身震いがする、などそういうキャッチコピーがつけられて脳の中に記憶として貯められていく。

嫌な気持ちとして貯蔵されていく。

だから、それに類することにちょっとでも課すると嫌な気持ちが発生する。

たまに、なんでこんな嫌な気持ちを思い出しちゃったんだろうということはありますよね。

誰にであると思います。

原因がわからないけど、とにかく嫌な気持ちになる。

どうしてかというとちゃんと貯められている、思い出として嫌な気持ちが。

それに類することが起きるとリスク回避の技術ですから、何よりも理由とか横に置いといて、まず嫌な気持ちになる。

想うという気持ちの仕組みでありますが。

家に置いてある時計の文字盤、これを図に書きなさいと言いますと書けない。

知っているものは記憶に入らない。

海馬は失敗の記憶でノブが回され、偏桃体が恥をかいたと舌打ちすることによって側頭葉に投げ込まれる。

失敗の記憶こそが危機対応の知恵となる。

人は失敗駆動型によって生存技術を上げる。

システムの一つである。

人の記憶は過去の失敗の集まりである。

失敗のほうを記憶するようにできている。

だから気にするのはおやめなさい。

失敗や危機回避は反応が遅れると生命の危機に陥る。

偏桃体は海馬への情報を働きかけ、増幅して側頭葉に投げ込み、特に深刻化させて記憶させる。

これはこういうことである。

本を読んでいるとき、そのページを何度も何度も押し付けて開き、開き癖をつけることがある。

そうすると本を閉じた後にも、盛り上がるでしょう。

脳とはそういうことをする。

何回もその失敗のところを開いていると、そこのページが自動的に開くようになっちゃう。

これがマインドコントロールになる。

関連情報が入力されると、ついそのページを開いてしまう。

本を開こうとすると、押し付けたところに開き癖がついているので自然にパット開いてしまう。

これが自殺とか無力感を招く基になる。

側頭葉から視床下部へトラウマが進行すると、自律神経を乱し脳幹へ届くと、生命維持のための生命力そのものが低下してしまう。

失敗したことを思い出していると眠れなくなってしまう。

トラウマ、心理的な傷のことであります。

トラウマは自分では言えない。

自分ではそのことは言えないんだけども、とにかく嫌な気持ちでいっぱいになる。

子供の時、母親のしつけが厳しくトラウマになってというのは解決しています。

誤報として間違っています。

なんだかわからないけどそうしてしまうのがトラウマです。

原因が解っているのはトラウマではありません。

気になって気になったあなたの心理の中で嫌なということで、あなたを金縛りにしてしまうんだったら。

こういうことをしてください。

もし嫌な体験をしたとすれば、その嫌になれることです。

トラウマにしないたっめには、体験を繰り返すこと。

嫌に慣れることです。

偏桃体はノブを回す手です。

どのくらい強く回して、どのくらい急いで回すかを決める。

その最速の強さを記憶しています。

ですから偏桃体に何度も催促をする。

催促に慣れてくる。

そうするとトラウマではなくなる。

前頭前野にパターンを作らせない。

これが一つのやり方。

もう一つは。

嫌な思いを上から見下ろす。

上から目線で見下すこと。

嫌な思いが渦巻くとき、その場から離れて、別の場所、時間から眺めてみる。

ある不愉快の人から嫌な目に遭ったとする。

その不愉快な人の10年先をイメージする。

人に嫌な思いをさせる人に、明るい未来が待っているはずがない。

そんな風に考えるとだんだんその人から受けるトラウマも薄くなってくる。

慰めで言っているのではありません。

記憶とは機能脳科学的で側頭葉の情報のこと。

記憶力とは思い出を刻む力ではなく、思い出す、記憶を出す能力の差です。

記憶はワンセットで詰め込まれているのではありません。

砕けたステンドガラスのように、バラバラにされて側頭葉に落ちています。

それを引っ張り出すときにバラバラが一つに統合されて思い出になるわけです。

まとめて絵にしている。

記憶は意外に当てにならないものだ。

思い出が思い出を甘くし、辛い思い出が辛くしている。

辛い思い出を思い出そうとして辛く統合される。

記憶というのは出来事を順序立てて、時系列できちんと記憶できるものではない。

バラバラなんですよね。

そういう生き物だということを覚えておいてください。

記憶は思い出すたびに都合よく、あるいは都合悪く手作りされております。

プライド、こだわり、被害者意識、この三つが重なりますと楽しい記憶までも辛い記憶に塗り替えてしまう。

記憶を取り出すときに、自分で苦い味付けをし、辛く苦しいというそういう思いを包んで人に話すわけです。

今が辛いとその辛さを過去に探し、あれが辛さの原因であれが辛さの始まりだったと繋ぐため、思い出の間を全部辛くする。

私すごく辛い、いまその辛さの始まりがあの時だったから。

あの時だったから、ずっと私は今まで辛いのというそういう言葉遣いになる。

そうすると全部辛くなる。

その間に遭ったことは全部飛ばしてしまう。

辛さをずっと引っ張りますと、その間を辛く語らないと矛盾してしまう。

今があるのも過去の選択がベストであったからで、ベストの結果が間違いなく今なのである。

今の暮らし、今の仕事、今の収入は、実はベストの選択の結果である。

今日あなたが失敗したとするでしょう。

それは未来のベストのための失敗だと考えれば、今の失敗だってラッキーと思える。

人生で出会う許せないあいつ、私を傷つけたあいつ、裏切ったあいつ、その情動の嫌な人物。

それらの人を心の傷にしないためには、もう一度傷つけなかった裏切らなかったそんなあいつを思い出しましょう。

そこまでさかのぼってしまうと呪うべきあいつではなくなる。