歩行に障害のある人は、バリアフリー設備がないから出歩かないのではない。

 

出歩いてしまうと一人になる。

 

人の目が気になるから出歩かない。

 

その問題がまずあるんじゃないか。

 

簡単に人に頼めるエリアがあれば、バリアフリーという設備が優先するんじゃないんだ。

 

SOSを出しにくい。

 

SOSを出しやすい環境みたいなものがあれば。

 

バリアフリーよりも、駅に別の設備を作るにも、人間だけの関係で転落事故等も防げるのではないだろうか。

 

トイレの借りやすさ、トイレの借りやすいところは自殺が少ない。

 

一つの現れはトイレの借りやすさ。

 

どこでもトイレちょっと貸していただけますか。

そういうエリア。

今コンビニがあるのは助かります。

人助っていうのも、求められてではないんだ。

自発的である。

こっち側から声をかける。

 

手を引きましょうか。

ご案内しましょうか。

そんな声を自らかける。

あなた自身が人助けになれることだ。

人助けになれることは重大な条件だね。

皆慣れてない。

だから慣れ際すれば、簡単にできることが、ちょっと言えなかったりする。

泣いている子供は母親と自分の関係で泣いている。

そこにおじさんが割り込んでくると。

自分の鳴き声は社会的信号として、それを受け取る人がいるんだと。

その人が頓珍漢のことで警察を呼びましょうか。

それとも救急車ですか。

 

聞いてくる。

社会を発見させるという意味あいで、通りすがりの子供に絡む。

人間中心の考え方が生きている。

施設の方とか行政の方とか対話そのものが長い。

 

住民サービスの成果というものが数字で求められる。

ではなくて、住民と話していること自体が成果なんだと。

もう話しているだけで、住民を幸せにすることが行政の務めであるのならば、

 

その行政を支えているスタッフたちも幸せでなければならない。

行政に対する不満で一番多いのは、役所は説明はするけど相談には乗ってくれない。

解決しなくてもいい。

相談に乗ってくれるだけで、それは行政の成果なんです。

それで立派な成功なんだ。

ある島の人は人の話を聞かない。

もちろん陰口、噂話もある。

人に引きずられ同調するということがない。

同じ目標を持っている。

子供は外に出しておけば、誰かが面倒を見てくれる。

競争が果たして人の為にいいのか。

この時代人を苦しめているのは、すべてある一つの出来事。

一瞬で世界を変えようとそういう人間の野望、それが人間を苦しめているのではなかろうか。

会話するということがいかに大事か。

8割の方が他人との対話で、精神の病が治るそうです。

人と対話をする。

それが実は精神の心の深呼吸である。

呼吸と同様、対話もしなければ人は死んでしまう。

対話とは自転車に乗るようなもので、人に教えるのがすごく難しい。

うまく乗れない人は、後ろから支えてやりながら、やがて手放す瞬間がやってくる。

それが対話なんだ。

相手を変えるよりも自分を変える。

そんな風にして会話、対話をはずませる。

それが自分が変わり、人をも変わるきっかけになる。

できることは助ける。

できなことは相談する。

そして、その人にかかわり続ける勇気を持つこと。

世間の知恵をどう組み合わせて、生きづらさを削って行くか。

それが人間の暮らしにとって、ものすごく重大なことである。

日本には自殺が多い地域と少ない地域がある。

多い少ないの比べ方じゃなくて、少ないところを見つめて、いったい何がうまくいっているから自殺者が少ないのか。

そういう見分け方を見つけるべきだ。

お祭りを持っているとか、花火大会があるとか。

そういう町というのは絆みたいなものを持っている。