父はずっと必死だった

 

 

父はずっと、正しいとされることを必死にやり続けてきた人でした。

だから、定年退職後「自由に何でもできるね」と言われた瞬間、途端に困ってしまったのです。

 

 

 

  放棄した父の姿

 

必死にやり続けることが嫌になった父は、すべてを放棄しました。

その結果、今は体が思うように動かせず、寝たきりに。
動くたびに痛みを感じ、不安定だから怖くて仕方がない様子。

下半身の筋肉が衰えると、踏ん張りがきかないせいか、寝ていても怖い怖いと言うんです。

 

 

 

  父は何もしないと決めた

 

父は自分の「やりたいこと」がわからない。

でも、人から言われたこともやりたくない。

 

まだ自分で動けていた頃、母が一緒にラジオ体操をしたり、外に連れ出したりしていました。

けれど、自らそれをすることはないし、言われてやるのも面倒な様子で、時には怒っていたんです。

 

「もう俺は何もやらねえ」そう言ってたそう。

 

きっと、今まで嫌々頑張り続けてきたんだなと思いました。

 

 

  幸せって何だろう?

 

あなたにとって、「幸せ」って何ですか?

 

動けなくなった父は、私と母が話していると

「痛いよー」と言い

「どこが痛いの?」と聞くと

「痛くない」と言います。

 

そしてポロッと

「どうしてお父さんは話題に入れないんだ」とつぶやいたんです。

 

 

自分も一緒に話したい、自分のことを気にかけて欲しい。

痛いのではなく、そんな気持ちを言葉にできず、痛いと言っていたんだと思います。

 

 

 

 

でもね、自分で何もしないと決めたのだから

動けず、ちゃんと話せず、別の部屋で寝ているだけと言う状態は

父が自ら望んだ結果、、、。

 

私は父は教えてくれている気がしました。
幸せって、自分がどうしたいかを自分で選び、それを叶えることなんだと。

 

 

 

 

 

  正しさに縛られた生き方

 

「正しさ」や「当たり前」に縛られて頑張り続けると、
そこから逃れることが幸せのように感じてしまいます。

でも、正しさや当たり前で縛っているのは、誰でもない自分自身なんですよね。

 

 

自分のやりたいことがわからなくなるくらい、正しさで縛ってしまった父は

何もしない!と逃れることを選んだ。

 

そして、妻なんだから夫の世話をして当たり前という正しさで

母が自分のことをしてくれると思っていたんだと思います。

 

だけど、お世話はできても、母が父を幸せにすることはできません。

本人がわからないことを叶えられる人はいないから。

 

 

 

 

 

  自由になることは怖い

 

いざ「自由に何でもしていい」と言われた時、
本当に自分がやりたいことはわかりますか?

 

 

私は、わかりませんでした。
だから父と同じように、必死に人に幸せにしてもらおうと頑張っていました。

 

 

 

 

  幸せは自分で作るもの

 

でも、何が幸せかも自分でわかっていないのに、
他人が私を幸せにしてくれるわけがありません。

 

そして、逆も同じ。

どんなに私が相手を思ってやってあげても、それが相手の幸せとは限らない。

 

 

そのことに気づいてから、私は

自分を知ること、自分を見ることを大事にするようになりました。

 

 

 

 

 

  本当の気持ちを見つける

 

自分の中に眠っていた“本当の気持ち”や“本音”を見つけることは、
なくした宝物を見つけた瞬間のような感覚です。

それを見つけると、安心と同時に
「やっと自分に帰ってこれた」という喜びが湧いてきます。

 

そして、それがわからないと

何を手にしても、どんなことをしても

幸せは実感できないのだと思います。

 

 

 

 

 

  今日からできる小さな一歩

 

自分を知ること、自分を見ること。

少しの時間でいいので、今日から意識してみてください。

 

 

 

もし「自分の本当の気持ちや、やりたいことをもっと知りたい」と思ったら、ぜひ公式LINEに登録してください✨

自分を知れる【無料相談】や【才能開花ガイド】をプレゼントしています🎁

💌 公式LINEはこちらから登録できます