中学生の頃プロレスファンだった私は
大阪府立体育館まで良く見に行ってました。
隣のHotelのロビーでは馬場さんが
葉巻をくゆらせていました。
ピークを過ぎて、靴底に向かって相手が
走り込んでいるとしか思えない馬場の16文キックよりも全盛期を迎えていた猪木の卍固めや
めったに見せないジャーマンスープレックスホールドに熱狂していました。
この前に読んだ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」や「1976年のアントニオ猪木」で、金、欲望、嫉妬、名声、格闘家としての実力と虚構、テレビ局、興行師という名のヤクザなどが、複雑に絡みあう世界を知りましたが小説よりも面白い。
その魑魅魍魎が蠢くプロレスの世界で、プロモーターとして外国人レスラーからその誠実さにおいて圧倒的な信頼をされていたのがジャイアント馬場です。
ザ デストロヤーは馬場のことを仏陀に喩えています。
良き日本人の心を持たれていたのでしょう。
馬場は、アスリートとしても優秀で。読売ジャイアンツ時代は3年連続で2軍の最多勝投手、1軍でも十分活躍できたはずが、目立ち過ぎるという理由で先輩投手の妨害にあってしまったそうです。レスラーとしてはアメリカでメインイベンターとして活躍し
巨額のマネーを稼いでいました。
世界レベルでは、猪木よりも師匠の力道山より
遙かに格上でした。
成長ホルモンの異常分泌により急成長したため
老化も早く61歳でその生涯を終えられました。
偉大な日本人でした。