『ブリヂストン石橋正二郎伝』林洋海 著 を読みました。

 

大好きな旧ブリヂストン美術館(アーティゾン美術館)なのに、その作品を集めた石橋正二郎のことはノーマーク。

ブリヂストンという大企業で財をなし、そこから美術品を集めたのであろうことは何となく想像しておりました。




✴︎コレクションのひとつ

藤島武二、黒扇。国の重要文化財です。

 

先日、アーティゾン美術館をやっと初訪問した際に、石橋正二郎についてもフォーカスするような展示構成だったので、これを機に取り寄せてみた次第。伝記や著書は複数あるようですが、ランダムに手に取った一冊目です。

 

過去記事:

 

 

明治半ばに生まれ、20歳過ぎまで自動車を見たことがなかったのに、世界一のタイヤメーカーの創業者にまで上り詰める。いったい何がどうなったらそうなるの?とワクワクしながら一気に読み進めました。

 

●シングルマザー&美術館好きのわかばが感動した、この本からの学び

 

逆境は変革の時、不況は商機、起死回生の最大のチャンス

 

もう、前書きからこれですよ。しびれまくりです。

幸せに年を重ねていく筈だったパートナーと別れ、シングルマザー歴10年超のわかばです。

いろいろな経験してきましたけど、この本にある明治から昭和の状況を知れば、自分の経験なんて大したことないなと思えるほどの波乱の日々。

 

大不況で100万足の過剰在庫(当時は日本足袋という足袋メーカー)と1000人の従業員。

桁が違います。

 

安易なリストラに走るのではなく、足袋に対する不満を調査。

そこから底をゴムで補強した丈夫な地下足袋が生まれたとのこと。

地下足袋は、実は商品名なのだそうです。

 

ひとつひとつ問題解決して商品化に。

 

そして、ゴムを当初は仕入れていたところ、高価で採算が取れないので内製化。

 

更にゴム工業に参入したからには、これで世界を目指すには、と考えて、自動車タイヤに行きついたとのこと。

 

縫製から足袋専業、そこから自動車タイヤ。

飛躍しすぎです。。。

 

正二郎自身は、22歳で東京に出るまで自動車はみたことがなかったものの、宣伝効果をにらんで即購入。

当時「国内に」350台程度しかなかった自動車を九州初導入し、自身も九州で第一号の免許取得者となったのだとか。


ちなみに、陸蒸気(おかじょうき)という言葉、30年振り位に目にしました🤣

 

スケールが違います。

 

でも、一番を取れるところはどこか、と熟慮して一気に舵を切る。

これは普遍的な成功法則ですよね。

 

毎年夏は、軽井沢の別荘にこもり、五年、十年サイクルの事業計画を練ったとのこと。

長期ビジョンは、こういう環境と時間が必要なのだと感じます。


ふだん、わかば自身は三か月くらいまでしか考えられないのです。いずれ、こういうリトリート的な時間も取れるようにしていきたいもの。

 

また、氏のコレクションである美術品管理は、石橋財団が行っているのですが、その原資は、当然ながら株(ブリヂストンタイヤ株式会社)等。「芸術文化支援活動には持続可能な経済的バックボーンが欠かせないと知っている経済人正二郎の配慮だった」と書かれています。

 

そうなんですよねーーー。

社会的によいことと、お金になることは、必ずしもイコールではない。


事業できっちり稼いで、世界に誇れる絵画コレクションを持ち、またちょっと不況になったからとすぐにコレクションを手放したりしないで済むような仕組みづくりまでやりとげているからこそ、のアーティゾン美術館なわけですね。

 

 

◆まとめ

いやーーー、しびれました。

 

シングルマザーって、スケールは違えど、トップ経営者と重なることあるんですよね。

最後は一人で決断しないといけない場面が、日常的にやってきます。

「親族や外野がうるさくなくていいね」と言われることもありますが、その心身への重圧ってけっこうあるんです。

 

経営本、好きですけど、石橋正二郎、本当にすごい。

本業でがっちり稼いで、老後に財団設立。憧れです。