実は先週、長らく入院中だった父が亡くなりました。

 

新型コロナの感染拡大が言われる中、もともと本人も家族も内輪で見送りたい意向だったので、施設にいる母と、兄夫婦、わかばとみどりの5人だけで、ひっそりとお別れの会を行いました。

 

今は通夜と葬儀など分けずに一度ですませるケースも多いのだとか。高齢の母の体力も考え、我が家も超簡素に。

 

お経やお焼香は無し。

父と母の思い出の花だという黄色いフリージアを、献花用に準備。

 

葬儀にありがちな大きな遺影すらもなく。

そのかわり、昨年来の断捨離で発掘してあった母作のピンナップボードに父のスナップ写真をコラージュしたものを持参。

 

そして、音楽好きだった父に、思い出の音楽を聴かせてあげたかったので、Spotifyプレミアムを用意。

 

過去記事:

Spotifyプレミアムに課金

 

最後の一年は離れ離れで暮らした両親なので、最後は父のそばでひとときを過ごして思い出を語りたい、という母。

 

会場で、「どんな曲を聴かせてあげたい?」と母に尋ねると、「何がある?」と逆に聴かれる。

外出先で聴ける音楽というと、メモリーにダウンロードして聴く、ウォークマンのイメージなのだろう。ストリーミングを説明しても、多分わからないと思う。

 

「あのね、世界中の音楽が何でも聴けるんだよ」と言うと、わかったのかわからないのか、「ほんとはね、あの曲がいい」などといくつかのクラシック曲を挙げてきた。検索したら、もちろん入っている。

 

持参したタブレットスタンドに立てて、BGMにしておく。

小さなスペースなので、タブレットの音量でも充分だった。

 

これに刺激されて、兄も「こんなのどう?」と自分のiPhoneに入れている音楽をかけてくれた。

モーツァルトのレクイエム(モツレク)、カルメン、ベートーヴェンの第九といった鉄板クラシック曲から、歌声喫茶のラインナップまで。

 

父と母の過ごした時間には、いつも音楽があった。例の断捨離した荷物にも、山のようなCDがあったので、一部はピックアップして保存してあるほど。聴くのはもちろん、合唱でもずいぶん舞台にも立っていた。

 

限られた時間ながら、いろいろな曲をかけて、そこでまた「ここはめちゃくちゃ家でも練習していたよね」などど思い出がよみがえる不思議さ。

 

ひと昔前なら、「この場面ではこの曲をかけてください」などとプレイリストと音源を用意して、会場に渡すところ。

 

今回は簡素なスペースで、そうした音響設備すらないけれど、逆にその場の流れで臨機応変に曲目を決めて検索してかける。その繰り返し。

 

母の意向を汲んであげたかったので、世界中のアルバムとプレイリストを即座に取り出せる、ストリーミングの良さを存分に活用することができた。ちなみに、クラシック系は海外からのアップロードも多く、かなり充実している模様。

 

そして、「間もなく出発します」と係りの方に声をかけられたら、タブレットとスタンドと予備バッテリーを布のケースにまとめてしまえば撤収完了。移動も荷物も多いので、この身軽さはとてもありがたかった。

 

 

 
 

 

◆まとめ

断捨離でいろいろな荷物を処分する中で、あんなこともこんなことも聞きたかった、と思うことしきり。わかば自身の日々の暮らしを回すことで必死だったので、たまに顔を合わせてもなかなかそこまでは話せなかった。若い頃に、ひと財産つぎ込んで買ったと思われるステレオのレシートが出てきたときには、金額に仰天!ああ、父にとって音楽はそんなにも大切なものだったのだと改めて知った。

 

YouTubeはゲテモノ扱いするような、昭和な父だったし、入院中はインターネット系は安全上の観点から禁止だったので、Spotifyのようなストリーミング系の音楽は一緒に聴くことはできなかった。お見舞いに行ったときは、軽くおしゃべりしたり、父の好きだったセザンヌの絵葉書を差し入れるくらい。

 

だからこそ、今回は限られた時間だけれど、存分に音楽を浴びるようにかけたかった。Spotifyプレミアムが、その望みをかなえてくれた。

 

究極のモバイル・スタイルともいえるかもしれません。