天上絵師KAWAZO旧ブログ -67ページ目

コメント返信★2.『時間とはなんぞや?』回答編

序章「爺様モード」にも書いたが、回答編は、どなたでもコメントの横レス、乱入、大歓迎だ。

--*--* 追記 *--*--*--
コメント欄へは、いつものように毎回レスはしない。
横道に逸れそうになった時などはレスするかも知れないが、基本、各人のイメージや考え方、感じたことなど書き込んでいただければ、まとめて、回答記事としてお返事させていただきたい。
いただいたコメントを無闇に斬り捨てたりは絶対にしないので、ご安心を。

--*--* 追記2 *--*--*--
あまり参加者いないようなので、コメント欄へ回答を書く形にしようかと思う。
しばし待機。

--*--* 追記3 *--*--*--
コメント返しにて、回答返信。
*--*--*--*--*--*--*--*--*--





単語一つだけの書き込みでも構わない。
自分の心だけで回答してくれても、もちろん、歓迎だ。
しかし、せっかく思い浮かべた回答なら、書き込んで共有してみてはいかがだろうか。
共有、共感で喜びを得られる生き物。それが人間だ。


参考:1.『愛とはなんぞや?』回答編」



では、始める。


2.『時間とはなんぞや?』

時間とは、記憶だ。
個にとっての時間とは、記憶に他ならぬ。

脳の病気あるいは損傷で、記憶をなくしていくことがある。
なくしていなくても、引き出せなくなることがある。
新しい事象は記憶に留まらず、古い、若い頃のことだけが記憶として認識されることもある。

「過去」が「今」となる。

全ての記憶がなくなったならば、その個体にとっての認識可能な時間も、全て無くなる。


個体の意識や記憶が600兆個の細胞一つ一つに刻まれているとしたら。
脳が記憶を再生できなくなったとしても、DNAに刻まれた記憶が作動するやも知れん。

例えば、意志の疎通が不可能と陥った者でも、トイレに行く、ものを食べる…などの習慣は、かなりの後まで失われないという。

ならば、その「習慣」という記憶は、600兆個の細胞がそれぞれに担い再現しているのだ。
その再現の連続により、「時間」が生成されてゆく。


しかし、そのような場合であろうと、外部からその内部の感情や感覚が窺い知れぬだけで、内側では変わらず、記憶は紡がれているやも知れん。

故に、その人は生命を保ち続ける。


記憶層にあるものが意志という形で発現されることがなくとも、生命として維持され続ける限り、外部の刺激は細胞に伝達される。
だからこそ、眠り続けるだけの身体になろうとも、生命は維持され続けることがあるのだ。



モノには、すべからく、記憶がある。
無生物でも、記憶を持つ。
その形状を維持するエネルギーを持つ限り。
その中に、記憶は綿々と刻まれていく。

あらゆる事象の記憶の総合体。
それが時間だ。


事象の全てが真に無となり、無さえも存在を停止するならば。
記憶を刻むものも無くなる。

時間も無くなる。





ここでも、問い返したいテーマに出逢った。

あらゆるものが「虚」となることがあるとしたら。
「虚」の記憶は、虚に刻まれ得るのか?
私にはわからない。

あなたは、どう思う?



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