天上絵師KAWAZO旧ブログ -66ページ目

コメント返信★3.『祈りとはなんぞや?』回答編

序章「爺様モード」にも書いたが、回答編は、どなたでもコメントの横レス、乱入、大歓迎だ。

--*--* 追記 *--*--*--
コメント欄へは、いつものように毎回レスはしない。
横道に逸れそうになった時などはレスするかも知れないが、基本、各人のイメージや考え方、感じたことなど書き込んでいただければ、まとめて、回答記事としてお返事させていただきたい。
いただいたコメントを無闇に斬り捨てたりは絶対にしないので、ご安心を。

--*--* 追記2 *--*--*--
あまり参加者いないようなので、コメント欄へ回答を書く形にしようかと思う。
しばし待機。

--*--* 追記3 *--*--*--
コメント返しにて、回答返信。
*--*--*--*--*--*--*--*--*--





単語一つだけの書き込みでも構わない。
自分の心だけで回答してくれても、もちろん、歓迎だ。
しかし、せっかく思い浮かべた回答なら、書き込んで共有してみてはいかがだろうか。
共有、共感で喜びを得られる生き物。それが人間だ。


参考:
1.『愛とはなんぞや?』回答編
2.『時間とはなんぞや?』回答編


では、始める。



3.『祈りとはなんぞや?』

祈りとは、意志。

見返りを求めぬ願いと言うが、「見返りを求めぬ」は、およそ生物が生物である限りあり得ぬ。

なぜなら、誰かの幸せを願うことは、その誰かが幸せになることにより己が満たされることだからだ。
例え相手の行く末を知らずとも。
相手を個として認識せずとも。

何かが、何らかの形で在ることを願う。
その瞬間、その形が満たされることを望む己がいる。
つまり、見返りを求めぬ、ということは、成立せぬ。


願う者が意識せず願う時のみ、見返りを求めぬ願いに限りなく近づく。


しかし。
そのような希薄な意志は、存在も希薄である。


己への利益の有無を問わず、なにがしかの存在に「こう在れ」と願う。
それは、意志があって初めて成される。

願う意志。

それが祈り。



希薄なる存在が意志へと変容するには、あまたの数の同じ方向へ向かう希薄なる存在が同時に発現する必要がある。

数は力となり、希薄なる存在を意志へ変える。

その瞬間のみ、「見返りを求めぬ願い」が世に放たれる。

それこそは、最も強く最も純粋な「祈り」であるかも知れない。




では、その、あまたの数の希薄なる同一方向の存在を同時に発現させる条件とは何だ?
私にはわからない。

あなたは、どう思う?




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