天上絵師KAWAZO旧ブログ -22ページ目

信じる・信じない

長く、人間不信であると標榜して生きてきた。
自分は人間不信であると、「信じていた」

変な話だ。

不信を信じる、という矛盾。



不信かどうかさえ、わからない
…というのが、自己を含む人間不信の、本当の在り方(笑)ではないか。

…そんなことを、ふと思った。



漠然と、全体に対して「人間不信」と捉えていたのだが。

かといって、人の言うことをイチイチ、徹底的に疑って疑って裏読みして…なんてメンドクサイことをやってきたわけでもない。

そういう傾向は、確かにあったにせよ。

基本的には、相手の言うことを一旦は(違和感ありつつも)受け取って、それから、考えてきた。

一旦受け取る…という過程を特に異議を差し挟まずにやってきた…ということは。

そもそも、その段階では「疑っていない」ということでもある。


相手の言動を自分の中に落とし込むことにするか。
または、疑問が解消できずに保留するか。
または、受け取らないことにするか。

その行程があることは、間違いない。

しかし、これは、検証の段階であり。
最初から、受け取り拒否のための検証ではなかった。



だとしたら。

そもそも、私は、相手の言動を「できることなら受け取ったままでいよう」という姿勢で、検証してきたということだ。

その期間がとても長い場合もあれば、一瞬で完了する場合もある。

検証に長くかかることが多いから、信用した感覚があまりなくて。
その状態を「人間不信だ」と解釈し、自分で信じるようになっていた…ように思う。


自分で信じ込んでいる「基本前提」は、自分では、なかなか崩すことは難しい。

というか、気がつくのが難しい。

気がつきさえできれば、崩すことは、できる。


それは。

心理学のナントカいう名前のついたメソッドを使うことで成し得るのではなく。

むしろ、そんなものを使うことで、別のおかしな思い込みを招くだけ。

職業として使っている人が職域で行う場合以外は、むやみに取り入れない方がいい。

職業として使っている人でも、自分自身のこと・個人として人と相対する時にメソッドを使って考えることは、やめた方がいい。


そんなものは、しょせん、他人が作った他人の手法であり、他人の価値観だ。


自分のことは、自分で決める。



ましてや、見えない世界に指針を委ねてどうする。

人間を信じないのに、見えない世界は信じる…それは、根本的に、間違っている。



最近になって、やっと、自分は別に人間不信だったわけではない…と、納得することができた。

この2ヶ月ほどの間に、自分の価値基準が全然違うところに落ち着いてきたので、今まで書いてきた記事などは今見ると「????」なことが沢山ある(笑)

とりあえず。

私は人間不信ではなかったし。

検証の時間は長いかも知れないが、「信じないため」の検証ではない。



ただし。

信じる前提での検証をしていき、「これは違う」という結論に行き着けば。

切り離すのは、早い。

人間不信を標榜していた頃の方が、なあなあなままで済ませておく方が良いと判断することは多かったと思う。

今まで何となく、周囲に会わせて動いてきて、目立たないよう徐々にフェイドアウトしてきたような場面でも、もしかしたら、突然ザックリ「もう無理だから」と、宣言するかも知れない。





「絡みづらい」とか「掴みづらい」とか、私が知らないところで、言われているらしいけど(笑)

私は至って、単純です。

何も隠してはいないし。


絡みづらいから敬遠しちゃう…なら。
絡まなくていいです。

わかんないから、突撃してみよう…なら。
ぜひ、やってください。


聞かれれば、ホイホイ、何でも答えますよ(笑)

言語化できないこと以外はね。



何をやろうが、やるまいが。
私は私です。

昨日言ってたことと今日言うことが違うかも知れないけど。

それも、私です(笑)


$天上絵師KAWAZO