昨日、書いた言語化トレーニングについて、
格好の題材を見つけました。
日本科学未来館の企画展
「世界の終わりのものがたり」です。
以下、WEBサイトより。
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震災から一年を経た今春、「終わり」という
必然を踏まえた上で、何を大切に生きていくべきか、
科学技術とどうつきあっていくかといった問題を
あらためて考え、一人ひとりが自分なりの答えを
持つべきではないでしょうか。
本展は、これらの本質的な問題に
正面から向き合う機会となる展覧会です。
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震災から一年、防災について多少意識はあがっているかもしれませんが、
実際に同じ規模の地震が首都東京で起きた際、
短期的あるいは長期的に見てどれだけ自分に「生きる力」があるか?
自信を持って「十分ある」と答えられる人は少ないのではないでしょうか。。
ゆでガエルの例えのように、徐々に、しかし確実に迫ってくる危機について
自分も含め人は鈍感になりがちです。
そんな日常に、この企画展は、
「終わり」を様々な観点から捉えた73の問いを投げかけてくれるようです。
例えば、「生きているって何でしょうか?」という問いかけ。
現時点での私の答えは、
「限りないinputとoutputの繰り返しを通じて、たすきをつなぐこと」です。
限りないinputとoutputというのは、
呼吸や食事と排泄などといった生物学的なものもありますし、
知識や経験を積み、それを次の機会に役立てる学習など
目に見えないものもあります。
いずれにせよ、生きている限り、人はとどまることはできず、
絶え間なく変わり続ける環境の中で、inputとoutputを繰り返す。
全てのinputとoutputが止まったときが「死」だと思います。
また、人は、1人という「個」で生きるのではなく、
「集団」として生きています。
そこには、親から子へ、人生の先輩から後輩へ、
連綿とたすきがつながれています。
また、「人間」は「人間だけ」で生きているのではなく、
あらゆる地球上の生物/無生物と一緒に、生きています。
人間も地球上の一つの小さな生き物、と捉えると、
40億年の生命の流れを、たすきをつないでいる存在だと思います。
だから、「生きている」ということは、
「限りないinputとoutputの繰り返しを通じて、たすきをつなぐこと」。
そう考えると、1日1日の有り難さがぐっと増してきます。
生きているとはどういうことか?
5月に展示会に行くことを今から楽しみにしています。