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 先月7月7日に大阪の片埜神社(かたのじんじゃ)にお参りに行ってきました。

 

 

 

 

 この神社のとなりの公園ですが、愛瀰詩(エミシ)の討伐で坂上田村麻呂さまと戦った愛瀰詩のリーダーのアテルイさまとモレさまの塚があります。

 

 坂上田村麻呂さまとアテルイさまの戦いは長年続いたといいます。

 

 坂上田村麻呂さまとアテルイさまモレさまは停戦しようということになり、京都にいる天皇に会うことにしました。

 

 今の地名で言うところの大阪の枚方(ひらかた)あたりまで来た時に、蝦夷は京都に入れることは出来ないということで処刑命令が出されてしまいました。貴族たちが京都に入れることを断固反対したようです。

 

 坂上田村麻呂さまは、東北はアテルイさまとモレさまを返して治めさせた方がいいと主張しましたが、受け入れられることはありませんでした。

 

 坂上田村麻呂さまは必死に助命嘆願をしましたが、やはり聞き入れられなかったということです。

 

 

 

 エミシという言葉は、もともと日本書紀では「愛瀰詩」という漢字が使われています。

 大和地方や畿内に住む人たちを指しているようです。

 時代を経るにつれて「蝦夷」という漢字に変わっていったみたいです。

 「愛瀰詩」の「瀰」は水が満ちあふれるさま、はてしなく広がるさまを表す漢字です。

 きれいな漢字ですよね。

 

 イメージからですと、土地や地球に常に愛が満ち溢れるような感謝の祈りの歌を捧げていた人たちかもしれませんね。

 「えみしを 一人 百な人 人は云へども たむかひもせず」 (日本書紀の中の歌)

  愛濔詩烏 毘儾利 毛毛那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毘毛勢儒
  えみしを ひだり ももなひと ひとはいへども たむかひもせず

 愛瀰詩は一人で兵士百人に相当する強さがあると聞いているが、戦うことをしない人たちだ、という意味です。

 

 日本書紀にもそんなふうに歌い伝えられています。

 

 

 

 アテルイさまは、ナガスネヒコさまの流れを汲むお方とも言われています。

 

 ナガスネヒコさまは古代に大和の地にいたリーダーだったようです。

 

 そこに東征で進んできたイワレビコさまの軍と激しい戦いをしました。

 

 はじめは少ない人数で勝利を収めていましたが、何度も押し寄せる大軍勢に抗しきれずに、捕まったとも東へと勢力を移動させていったとも言われています。

 

 

 

 

 片埜神社にお参りさせていただいたのは、こちらのお守りをお分かち頂くためでした。

 

 

 こちらが表側です。

 

 

 裏側です。

 

 「大墓公 阿弖流為」は、たものきみ アテルイ、と読みます。

 

 激戦の末に友情に至ったとされるアテルイさま、モレさまと坂上田村麻呂さまに、お祈りをさせていただこうと思いました。

 

 また、愛瀰詩のお方々の魂を天へと導いていただければとも思いました。

 

 自宅にて、おにぎりやお酒をお供えさせていただきました照れ

 

 何かの本で、アテルイさまがいらっしゃった東北のお方たちは、山菜やおにぎり、または焼きおにぎりが好きだったって書いてあったような🤔

 

 ネギ味噌焼きおにぎりだったかな~ニコニコ

 

 

 

 

 

 片埜神社(かたのじんじゃ)です。

 

 

 こちらが本殿になります。

 

 御祭神

 主神 建速須佐之男大神 櫛稻田姫命 八島士奴美神 菅原道真

   

 八島士奴美神(やしましぬみのみこと)さまの説明には、八将軍・方位の守護神と書かれてありました。

 

 ホームページのiの説明には

 

天正11年(1583年)、豊臣秀吉公により大坂城鬼門鎮護の社と定められてからは、方位鬼門除けにも霊験あらたかな社と世に知られ、慶長7年(1602年)には豊臣秀頼公による本殿等の寄進大造営があった。

 

 とあります。

 

 

 

 境内社が二つあります。

 

 依姫社

 

 御祭神 

 玉依姫命 大国主命 市寸島姫命

 

 

 

 

 

 稲荷社

 

 御祭神 

 保食神 武甕槌神 経津主神 天児屋根命 比咩大神 品陀和気命 久那戸神

 

 

 

 片埜神社(かたのじんじゃ)の御祭神が載っている説明板です。

 ちょっと画像が小さいかな~😅

 

 

 

 

 ではアテルイさまとモレさまの塚に行ってみます。

 

 依姫社の横から一旦外に出ます。

 

 

 出たところです。

 この横に大きな公園があります。

 

 もともとの境内は現在の境内よりもとても広い範囲でした。

 この近くに境外社が二つと大学がありますが、そこも境内だったようです。

 

 

 

 

 

 

 ここの塚がアテルイさまとモレさまの塚だと言い伝えられているところのひとつです。

 

 言い伝えの場所については、いくつか候補があるようです。

 

 

 

 ぶら下がっている説明板には、東北地方でアテルイさまとモレさまは朝廷に対してはげしい抵抗を見せましたが、最終的には坂上田村麻呂さまに伴われてこの地まで来たこと。坂上田村麻呂さまは助命嘆願をしましたが、朝廷からは処刑の命令が出てしまったことなどが書かれています。

 

 こちらでアテルイさま、モレさまと坂上田村麻呂さまに、お祈りをさせていただきました。

 

 また、愛瀰詩のお方々の魂を天へと導いていただけるようにお願いもさせていただきました。

 

 

 

 塚の碑を右側にぐるっと回っていきますと、塚の中心の方に入っていけるように通路があります。

 

 お供え物や花がたくさんありました。

 ほんとにありがたいです。

 

 

 

 境外社二つです。

 

 

 

 朝原神社

 

 御祭神

 猿田彦大神

 

 

 

 

 

 

 瘡神社 (くさがみしゃ)

 

 御祭神

 火酢芹命(ほすせりのみこと)

 皮膚病・病気平癒の神さまです。

 

 

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

 

 

 お家に帰りまして~

 

 

 

 

 お分かち頂いたこちらのお守りに…

 

 

 

 

 おにぎりとお酒をお供えします。

 

 

 お皿は熊野那智大社の那智の滝が御神体である飛瀧神社(ひろうじんじゃ)にお参りしたときのものです。

 

 一枚しかないとずっと思っていたのですが、おにぎりをお供えしようと思った時に二枚出てきました。

 

 二枚のお皿を見て急に思い出したのですが、飛瀧神社に初めてお参りに行ったときにめっちゃ神さまに怒られました。…友達が…たぶんですが。

 

 次の年か二、三年後ぐらいに私一人で謝りに行きました。

 一枚目のお皿は初めての時、二枚目のお皿は謝りに行った時のものです。

 

 思い出した~😅

 

 

 

 うめぼしおにぎりとお酒です。

 

 お召し上がりください~ニコニコ

 

 お守り立ては家にあった板で自作しましたウインク

 

 

 

 

 また別の日に、味噌焼きおにぎりをお供えさせていただきました。

 

 味噌は、つけてみそかけてみそを使いましたニヤリ

 

 

 お供えの後は自分で頂いたのですが、めちゃおいしいですねチュー

 

 味噌焼きおにぎり最高泣き笑い

 

 私はふだんお酒は飲まないのですが、せっかくなので、みそ焼きおにぎりを食べながらチビチビといただきました。

 

 味噌焼きおにぎりとお酒ってヤバイぐらい合いますね飛び出すハート

 

 食べた後眠くなって少し眠っちゃいました(笑)

 

 

 またたまにお供えさせていただこうと思います。

 

 美味しいよ~ひらめき

 

 

 長々とお読みいただきありがとうございます。