僕が起業したのは29歳の時。
26とか27の公務員時代なんかは割と最近のことのように思い出すんですが
例えば県庁とか見ると
ああ今日も残業してるなとか窓みると思ったりするんですね。
動物病院を開いてからは何というかほとんど記憶にございません。
超絶悔しいことが75%、悔しいことが15%、嬉しいことが10%
そんな配合で構成されております。
凄く細かい記憶。
AちゃんやBちゃんのことは一人残らず覚えているんですけどね。
全体を通して見ると輪郭がかなり曖昧なんです。
あれ?俺気絶してたっけ?みたいな。
最近になってやっと仕事と真正面に向き合えるというか
一種のフロー状態になってきた(というかそういう状態に持ち込める)ように思います。
先住民族のマオリ民族にはMANAという価値観があるそうです。
通過の代わりにそれを受け取って生活していた。
MANAは日本語にすると徳とか品位です。
産まれながらにMANAはマックスまで補填されています。
利己的な行いを重ねるごとに失いますが、
利他的な行動をとるとMANAは補填されます。
give&take ではなくてshare &shareなんですね。
だからこそ先住民族は資本主義社会に馴染めなかった。
でも仕事というのはこういう解釈でいいんだと思います。
ジャックアタリは
利他主義こそが最も合理的な利己主義だと話しています。
shareするために稼ぐ。
自分にshareできて喜んでもらえるならそれでいい。
仕事を支配しているお金というのは
ある意味では感謝や愛の化身です。
じゃあshareした結果に得たそれらは無機的なものではなく
有機的なもので,どう使うかに価値がある。
だからshareするために使えばいい。
ジャックアタリのいうとおり、おそらくは
周り回って自分のところに大きくなって戻ってくる。
give&takeは疲れます。
持続可能性のカケラもない。
楽しみながら、僕にできることを
精一杯届けたらいい。
仕事というよりは遊び心だから本気でできるわけです。
遊び心だから大胆なことができるわけです。
250万年ある人類史(正確には違うかもだけど)の中で農業革命が起きたのはたった1万2千年前。
それまではずっと狩猟採集して生きてきたわけです。
ライオン見れば分かるとおり、1日のうちのほとんどをダラダラ過ごしていた。
農業革命、つまりは仕事の始まりです。
ユダヤの祭日、キリストのミサで土日休みに
管理しやすいから24時間を3等分しようと8時間労働になったのは
産業革命が起きた200年前以降。
人類史を圧縮すると本当に1秒前に満たない時間です。
僕らのデフォルトの有機体は250万年前からほとんど変化していないわけで
そら身体や心が追いつかなくなるのも当たり前です。
だからメリハリつけて働こうと思うわけです。
ダラダラ我慢しながら低いパフォーマンスで働くよりは
シャキッとその時間は。という働き方に数ヶ月前に変えてから
すこぶる調子がいい。
普通に長期休みたいときは休めばいい。
長期スパンでみたら、いやいや短期スパンでも
パフォーマンスが全然違います。
何のためにとか誰のためにとかじゃなくて
自分のしたい仕事を楽しむ。
やりたいことをする。
ガラケーにしたのも有効でした。
さて病院も新しくなり、心身共に新しくなった気がします。
本当に皆様のおかげです。
僕も僕にできることでshareをしていく。
多分もっといい病院になっていきます。
これからもよろしくお願いいたします。