『光る君へ』第34回「目覚め」の話 | 星野洋品店(仮名)

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とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

ラストで道長らが中宮 彰子の懐妊祈願のため御嶽詣でに出発していました。同行する嫡男 頼通は行きたくなさそうだけど。数え16歳の頼通に100日間の精進潔斎はキツイわね。

 

一行が着ていたのは精進潔斎した証の浄衣(じょうえ)。白い麻か生絹(すずし。精練していない絹)で作った衣服です。

 

まひろの亡夫 藤原宣孝がかつて御嶽詣でに行ったときは目の覚めるような山吹色の衣で、同行した息子は派手な柄物の袴という非常識な格好だったと『枕草子』に記録があります。

「御嶽の権現さまは、染めていない(=染料代をケチった)貧乏くさい衣を着て来いとはおっしゃらない」

というのが宣孝の言い分でした。権現さまのご利益なのか、この後すぐ昇進したんだから、宣孝おじちゃんが正しかったんだね。

 

清少納言は『枕草子』「あはれなるもの(心揺さぶられるもの)」の段で、

「若い男性が長期間の精進潔斎に耐えて御嶽詣でをするのには感服させられる」

と語った後で宣孝の衣の件に触れ、

「これは別に〈あはれ〉じゃないけど、御嶽詣でのことを書いたついでに書いておく」

と記しています。

 

このことを紫式部が恨んで、『紫式部日記』で清少納言をボロクソに書いたと言われますが、どうでしょうねぇ。紫式部がそこまで怒るほどの書き方じゃないと思う。

 

道長は首から銅製の経筒(きょうづつ)を下げていました。中に入っているお経は道長の自筆で、江戸時代に修築工事をした際に掘り出されたり埋め戻されたりした挙句に散逸していますが、見つかっている分は今年3月に国宝指定が決まったそうです。普段日記を書くときの字より上手に書けてるらしい。よっぽど気合を入れて写経したんだね。

 

 

冒頭で藤原氏の氏寺 興福寺のお坊さんが強訴(ごうそ。神仏の権威を背景に僧らの集団が朝廷に訴え出ること)をしていました。大和守 源頼親(源頼光・頼信の兄弟)と揉めたのが原因。まともな軍隊・警察がない世界だから、寺も武力を持って自力救済せにゃならんのよね。

 

大和国は有力な寺社が多くてややこしい土地柄なので、桓武天皇は大和国の平城京を捨てて山城国の長岡京、次いで平安京に遷都したわけです。めんどくささは時代が下って戦国時代でも変わらなかったのですが、豊臣秀吉の弟 大和大納言こと豊臣秀長は大和国を見事に治め、兄 秀吉が行う新政策の実験場ともしました。2年後の大河ドラマ『豊臣兄弟!』への超ロングパス。

 

 

後半は曲水の宴。また気合の入ったセットでした。9月12日19時半から放送の『100カメ』で裏側を見られるそうです。この番組は毎回面白い。

 

 

漢詩を詠みあげられていたのは大江匡衡。赤染衛門の夫です。赤染衛門はなにかっちゃ「うちの夫が、うちの夫が」とアピールするので、陰で〈匡衡衛門〉と呼ばれていました。夫の出世に貢献するのが嫡妻の役目ですから。なんだかんだ夫婦仲はいいようで、夫の晴れ舞台に立ち会えて嬉しそうでした。

 

史実通りに雨が降り、雨宿りをする道長たちを垣間見た中宮 彰子は、何か思うところがあったようです。彼女にとって〈偉い父上〉という記号でしかなかった人物にも、友達とふざけあった青春時代があったんですね。そして〈麗しい帝〉でしかない人物にも、きっと人としての思いがある。

 

次回予告では彰子は「お慕い申しております!」と叫んでいました。そうだ、頑張れ、彰子! ここで頑張らないと、〈うつけの中宮〉で終わっちゃうぞ!

 

 

 

 

スマホシリーズ最新作『紫式部のスマホ』も放送されています。Tik唐okで踊り、Pixivならぬ筆シブ(ぴつしぶ)で『枕草子』や『源氏物語』を連載する世界です。