『光る君へ』の『枕草子』の話 | 星野洋品店(仮名)

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とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

詮子女院の四十賀のすこし前、藤原行成は6年務めた蔵人頭を卒業して参議に昇進しています。内裏と土御門殿のあいだ(約2km)を毎日往復して、過労で死にかけてた日々がやっとおわったね。おめでと。今後は陣定(じんのさだめ。閣議)の書記係として、死ぬほど議事録を書く日々が始まるよ!

 

行成の後任の蔵人頭は源経房。藤原道長の別妻 明子の同母弟で、道長の養子として扱われていた人です。ぼくは以前、間宮祥太朗がキャスティングされてるんじゃないかと予想したんですが、大ハズレでした。変なロン毛にしていたのは、けっきょく民放ドラマの役作りだったんだな。

 

 

『枕草子』には行成や経房がよく登場します。行成は蔵人頭として職の御曹司に出入りすることで清少納言と仲良くなったようです。たとえば、百人一首に採られた、

夜をこめて鶏の空音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ

 

鶏の声を聞いたら朝にならなくても関を開けてしまう杓子定規な函谷関の関守と違って、ひと晩じゅう鶏の鳴き真似をして騙そうとしても、男女が忍び逢うという逢坂の関の関守は夜のうちに関を開けることは絶対にありません

という歌は、行成が冗談で恋文めいた手紙を送ってきたので、清少納言が「彼氏ぶらないでくれる?」と返したもの。お互いに中国の「鶏鳴狗盗」の故事を知っているとわかった上での知的な悪ふざけです。行成はさらに「清少納言は誰とでも寝るって噂ですよ?」というヒドい歌を返しています。

 

職の御曹司の定子サロンは、ドラマで見るよりずっと栄えていました。内裏の東に隣接するという職の御曹司の立地は殿上人の通勤ルート上にあたり、素通りするのもおかしいし、内裏の御殿よりも気楽な遊び場だとも認識されていたようです。道長派のはずの源経房も清少納言と親しく、彼女の局に勝手に上がりこんで『枕草子』の草稿を持ち出したと言われています。

 

 

『光る君へ』では、定子サロンでの殿上人たちとの交流をあまり書かなかったことで、定子をいちずに思う清少納言の姿が強く印象付けられました。

 

史実の清少納言が内裏に上がったのは冬場だったのですが、『光る君へ』では清少納言が「数ある節句の中でいちばん素晴らしい」と言う五月五日の節句のころに変えられています。梅雨入りを前にして、屋根には疫病除けの菖蒲と蓬を葺き、薬玉(くすだま。薬草を詰めた錦の袋を五色の糸で飾ったもの)を腰帯や柱に下げる。貴族の家でも節句を祝うけど、高貴な女性たちが互いに薬玉を贈りあうのは宮中ならでは。

 

青麦粉と甘葛の蜜をこねて作る〈青ざし〉という菓子を清少納言が定子に献じるシーンは、『枕草子』における定子の最後の記録です。『光る君へ』での清少納言が初めて定子と対面したのと同じ、五月五日。第3子出産のために定子が滞在していた平生昌邸でのこと。

 

清少納言は定子を慕う気持ちをこめて菓子を捧げ、定子は菓子の敷き紙をちぎって、

みな人の花や蝶やといそぐ日も わが心をば君ぞ知りける

 

皆が中宮 彰子の藤壺へ行ってしまっても、そなただけは私の気持ちをわかってくれている

と書きつけました。

 

 

清少納言と定子の初対面が5月5日に設定されたのは、おそらくドラマの進行の都合でしょう。それでも、清少納言の忠義(演者のファーストサマーウイカが言うところによると推し活)の記録が5月5日にはじまり5月5日におわったのは、美しい構成だったと思います。

 

まひろは「定子さまの裏側を見てみたい」と言いましたが、清少納言はそれを強く拒否しました。長保2年5月5日以降に起きた不幸なんて、書き残す必要はない。天皇の正室たる者が職の御曹司で肩身せまく暮らした理由も、皇族の格式に全く見合わない平生昌邸で出産するはめになったわけも、書き記すべきことではない。同時代の人にはわかっているのだから。むしろあえて書かないことで、道長の卑劣さが浮かび上がるというものです。

 

『光る君へ』での道長はけっして悪人ではないし、史実の藤原道長もおそらく悪人ではない。しかし、中関白家が復活して道長が権力を失えば朝廷が大混乱に陥るでしょうから、定子を積極的に支援する気がなかったのも事実です。そして道長は詮子女院の死で後ろ盾を失いました。中関白家は定子の遺児 敦康親王と『枕草子』を武器に、道長の権力を切り崩すことができるかもしれない……。