”俳句という共鳴(resonance)その3#1976” | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。


6月のはじめ、悠人さんが『俳句という共鳴』という記事を書かれました。

『俳句とは、季語に対するリスペクト』という考察が心にしみ込んできました。

季語が大切なものだと知りながら、季語以外に「あれも」「これも」詰め込もうとして失敗してきた自分は、季語へのリスペクトが足りなかったのかもしれません。

 

そういうことに気づかせてもらえて良かった。しかし、すぐに句作に活かせたかというと。。。ダメでした(´・_・`)

それでも人さまの句を鑑賞するときに、この観点は役にたちます。心に響く句は、やっぱり季語が主役。そのことを実感した第53回「悠々自適」句会。

自分の選句について書かせていただきます。

 

梅雨晴れ間空に断崖ありにけり   ひょうたん機さん

 

今回の最高得点句です。

季語と「断崖」の調和が素晴らしいですね。

断崖という言葉が、これほどの清々しさをもたらすとは。

これも晴れ上がった空あればこそ。お見事でした。

 

梅雨寒しカフェにボサノバ流れけり   日記さん

 

作者とともに、このカフェにおじゃました気分になりました。

居心地のよい空間が見つかって良かったです。梅雨寒でも心はあたたかい。ボサノバ、良いですね〜

 

七変化あぶくのやうに目覚めけり   マミーエリさん

 

「あぶくのような目覚め」、わかる気がします。眠っている間、意識は水のなかに沈んでいたのに、少しずつ水面に向かって浮かんでいって覚醒。

七変化の花も、色が移ろうたびに目覚めているのかも。

 

梅雨茸を月が妖しく灯しをり   あ〜すけさん

 

この句に出逢うまで、私にとって季語「梅雨茸」はリスペクトの対象ではなかったような気がします。(カビのように思ってしまっていたのか。。。梅雨茸さん、ごめんなさい)

あ〜すけさんの梅雨茸、とても魅力的です。「灯しをり」がとても良かったです。

 

水中花人に逢ふ坂のぼりけり   マミーエリさん

 

人に逢うために登り坂を進んでいく。水を吸うごとに花をひらいていく水中花のように、心弾んでいる感じでしょうか。

それとも、水中花のある室内の窓から、坂道を登りゆく人の姿を見ているのでしょうか?

水中花と登り坂の取り合わせに惹かれました。

 

ポプラ坂の向かふ夏雲立ちにけり   悠人さん

 

この句は「映像」をはっきりと見せてくれます。

ポプラ坂の構図が夏雲を見事に立ち上がらせた。そんな感動を受けました。

 

青嵐鶏は鶏冠を誇りけり   ひょうたん機さん

 

たしかに鶏は鶏冠を誇っていると思います!

「青嵐」との調和で、鶏冠も輝きました。

 

虎が雨赤き柱に凭れけり   マミーエリさん

 

「虎が雨」は、曽我物語の虎御前の涙雨だといわれています。

「赤き柱に凭れけり」このワンフレーズには不思議な力を感じます。遠い昔に遡って、虎御前の姿をイメージできたような気が。美しい女性として浮世絵に描かれていますね。