レジェンド降臨。JOKERと対決す | 風の日は 風の中を

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~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

昨年は、『がんもどき理論』の近藤誠さんと直接対決する医師が現れた年でした。
(2016年4月、「サンデー毎日」誌上で林和彦氏が近藤氏と対談)

そのことを10月になってblogに書いたのですが、その対談より3年前に「医学界のレジェンド」と呼ばれた医師と対決していたことも書くべきではなかったか?という後悔が残っています。

今日、書くことにします。
※この対談は「週刊朝日2013年8月16日・23日~9月20日号」に掲載されました。

皆様は山崎豊子さんの小説「白い巨塔」をご存知ですか。
医学界のレジェンドとは、山崎豊子さんの主治医だった神前五郎先生(1919~2015年)です。

「白い巨塔」の主人公と名前や立場(大阪の大学教授・消化器外科の名医)が似ていたので、モデルでは?といわれた方です。
実際は直接のモデルではなかったそうです。
白い巨塔の財前五郎と違い、神前先生は謙虚で聡明な方だといわれています。

神前先生は、2013年に『近藤理論の撤回』を求める「果たし状」を送り、近藤誠さんが受けて立ったことで直接対決が実現しました。

神前先生は、「科学的なすりあわせによって統一見解を出したい」と思っておられたようですが、対談で両者の主張は、真っ向から対立。意見が一致したのは「転移のある癌をむやみに手術してはいけない」の一点だけでした。

この対談当時、神前先生は94才。胸椎圧迫骨折のため入院されていたので、近藤先生が入院先の病院を訪ね、病室で対談がおこなわれました。

高齢の神前先生は「近藤理論撤回が人生最後の仕事」と意気込んでおられました。
なぜ撤回を迫るかというと、近藤理論を肯定する人々が増え「患者を誤解させてしまう」ことを危惧されていたのです。

「がんもどきは形而上の概念。本来なら治療で助けられたはずの人を、(がんもどき理論を肯定したために) 死なせるわけにはいかない」という神前先生。

「胃癌の実態を解析すると、すべての胃癌は、がんもどき早期癌の時期を経て、次々と本物の癌になり癌死をもたらす」と主張する神前先生にとって、がんもどき理論を見逃すことは、医師としての良心にかける行為だそうです。

近藤先生は、逆に
「早期胃がんを手術するというのは、早期胃がんが、どんどん大きくなって転移して死んでしまうんだということを前提にしているわけだが、それに対する積極的なデータはない」と反論しています。
相手の信念に対し、互いに「科学的証拠がない」と言い合う形です。

また、「がんの成長速度は一定か否か?」という点でも意見が対立。

近藤先生は、「がんもどきは、がんもどきのままであり発見できる大きさになったときには、その性質(成長速度など)は変わらない」と言い、

神前先生は、「がんもどきは本物のがんになる可能性がある」
「がんの成長速度は一定ではなく速くなることがある」という見解でした。

近藤先生は
「同じがんであれば、成長速度は一定。がんという固まりを本体と外側でみると外側のほうが、こぼれやすい。成長速度の違いではなく要は本体から離れやすいかどうか」と話されました。
神前先生が
「腑におちない。成長速度が一定という証拠を持っていますか?」と問い
「それを言うなら成長速度が違う証拠を出すべきでしょう」と近藤先生が返す。。。最後まで見解をすりあわせることはできませんでした。

ただ、お二人には「医学は患者を助けるためのもの」という共通した思いが根底にあるように見えました。

対談する前から、神前先生は、「統一見解を出し、両者はその統一見解に従って今後行動すること」という条件を出しておられました。
これに対し、近藤先生は、「そもそも統一見解を出すことが難しいだろうし、将来の行動を拘束するような約束はできない。人の見解や行動は変わる可能性がある」と答えたのです。

この部分にこそ、二人の医師の立場の違いが顕著にあらわれていると思いました。

神前先生は、かつて日本外科学会会長をつとめた方。「がん医療は外科からスタートする」と言い切る医師は多いものです。神前先生は、権威の象徴のような立場だったことでしょう。
権威は、全体を率いる立場ゆえ、根拠なく変化したりできません。
近藤先生のような「異端」に釘をさしておかねばと使命感に燃えて対談にのぞまれたと思います。
対する近藤先生は、1980年代から権威に楯突いてきた方なのです。

「治癒率が変わらないのに、乳がん患者に拡大手術をおこなうのは犯罪行為」だと、当時の主流だった拡大手術を批判する論文を発表。

出世を捨て、自分の感覚に嘘をつかない道を選択されました。厳しい道を歩んでこられたように思えますが、「徒党を組まないことは心が平静でいられる秘訣です」と語られています。

そして日本の乳がん治療のパラダイムを変えました。近藤先生によって温存療法がスタンダードになっていったのです。