アナログ人間、掲示板に躓く | 風の日は 風の中を

風の日は 風の中を

~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

わたしは、就職したときから仕事でパソコンを使用していましたが、インターネットに弱いアナログ人間です。


アメーバには、長くいられたほうです。


ブログという形がこんなにも普及する前、電子掲示板に2回ほど行ってみましたが、ただちに退散しました。


1度目は、郵政解散選挙がおこなわれたとき。

よく「一般社会でみる世論と、ネット上の世論は乖離している」といわれていたので、実際どうなんだろう?と思い行ってみましたが、書きこみはおろか、読み通すこともできませんでした(>_<)


そこは、いわゆる匿名掲示板でした。

匿名ゆえに本音がかかれている、とみる向きもありますが…

感情的に言いたいことを吐き捨てている感じも多く、実生活で顔をみせて発言するのにくらべると、意見に責任はもってないんだろうなーと感じました。

何より、気に入らない意見は叩き潰す!というエネルギーの強さに驚き、読むだけでも疲れるのでかえりました。


2度目は、友達が入信した宗教団体について情報を得たいと思い、そういう話がわかるところをさがしました。

その当時も今も、その団体のこと『カルト』だと思っています。

友人が幸せそうには見えなかったので…よけいなお世話ですが、少しでも情報を知りたかったです。


匿名掲示板には以前、なじめなかったので、参加者がハンドルネームをもって発言している小さめのコミュニティに行きました。


なぜここにきたのか、自己紹介を書きこんだら、とても親切そうな方が対話してくださいました。

その人自身は「お兄さんが入信して、人がかわったようで心配している」との事でした。

そこではまじめな話し合いがおこなわれていて、好感がもてました。


しかし、いい感じはほんの数日間でした。

新しい参加者に対し「あなた○○(←ある宗教団体の名前)のまわしもの?出ていきなさい」というような調子でコメントをつける人がいました。

○○のまわしもの、というのは一方的な誤解だったようで、いきなりレッテルをはられ排除されそうになった方のこと、気の毒だなと思いました。


いきなりのレッテル貼りをした人は、自分が気に入らない書きこみには、情け容赦なく罵声をあびせていました。

こういう方がいると、やっぱり参加者は減っていきます。

ある日、管理人さんが、レッテル貼りのこわい人と、私に最初親切にしてくれた人が同一人物だということを参加者全員に明かされました。

なんと!その人はハンドルネームの使い分けをしていたのです。

親切でみんなに好かれている人と、中傷して気に入らない人を排除していく人が同じ人だった…

ひとりの人に、いろいろな面があるのは、普通のことだと思います。

ただ、この人のように、批判・中傷するときだけ、別人格装う細工は嫌だなーと思いました。

ここへの参加はほんの短い間でしたが、このときの体験は印象に残りました。


アメーバはよいところで、ブログをかいている人はブログを通してその人の考え方、人となりを伝えてくれるところがいいですね。

ここで出会った人で、別人を装う手法を使った人は、ひとりだけです。


この手法、やっぱり私はとてもイヤです。

同じIDでの発言なら、批判を受けたとしても、発言者が自分の意見に責任をもっていると思えるので、耳を傾けたいと思います。でも、別人格を装ってする批判は…それだけで正当性を欠くと思います。