自分が付き添っていた人が不安感を募らせて、混乱していく様子をまのあたりにして、失敗したなぁと思ったが遅かった。
わぁー、と騒ぎはじめていて、呼びかけに応えなくなっていった。
毎日、お産に立ち会っていくと 、中には不安が強い人もいる。
先輩の助産師さんは、「なるべく叫ばせないことです」と言われた。
ジェットコースターに乗った場合でも絶叫する人はいるけど、いったん叫びはじめると、たがが外れてずっと叫び続けるはめになる。
取り乱した産婦さんも、赤ちゃんが生まれて陣痛がおさまるまで、平常に戻らないのだろうかと、私は、おろおろした。
私たちを叱りつけた助産師さんはというと、どっしりとした岩のような安定感をみせていた。
どんなに産婦さんがさわいでも、まったく動じず、「はいはい、大丈夫」となだめていた。
同時に手は忙しく動いて、赤ちゃんを受けとめる準備をすすめていた。
間接介助の役回りの私は、産婦さんと会話が成立しなくなって、なすすべがなく立ち尽くした。
ふと、自分の隣をみると、白いかっぽう着みたいな服をきた男性が立っていた。
その人の顔をみて、自分の失態に気がついた。
その方は、周産期センターの責任者で、産科部長というドクターだった。
お医者さんは、医療行為をする人なので、出産が正常に経過する場合は出番がない。
でもベビーのからだが娩出される際は、かならず立ち会ってくれることになっていて、間接介助の助産師は適切なタイミングで医師を呼びにいくことになっていた。
産婦さんが混乱したことで、私も混乱し、医師を呼びにいくことを失念していたのだった(;^_^A
たぶん絶叫を聞きつけて、自らきてくれたのだと思う。
産科部長は手に温度計を持っていて、「沐浴(赤ちゃんの産湯)の準備をしよう」とおっしゃった。
そしてお湯の温度を調節する作業を一緒にしてくださった。
産婦さんを叫ばせてしまい申し訳ありません、と私が言うと「いや、患者さんの意識があってよかったよね。この前とりあげた人は、出産のピークで寝てしまったんだよ!」と言われた。
麻酔なしで、陣痛のピークで寝ることができるのか!?と驚き、「その方は、どうなったのですか」ときくと、ごく普通に元気な赤ちゃんが生まれたという。
そして混乱してさわいでいた産婦さんの赤ちゃんも元気な産声をあげた。
その赤ちゃんを沐浴できれいにしてから、おかあさんの胸にのせてあげると、あかあさんはすっかり平常にもどっていて、赤ちゃんにやさしく話しかけたので「みごとに親になるものだなー」と感心した。
翌日、新生児室にいくと、その方が自分のベビーを見に来ていた。
「○○さん、お産くるしかった?たいへんだったね」と話しかけると、そうだったかな~という感じで大騒ぎ出産は、すでに過去のことになっていた。
出産をうまく乗り切りたいという気持ちで事前に勉強したりすることは、とても意味があって、そういう人はよい過ごし方をされている。でも、上記の方のように、不安の波にのみこまれたようにみえても、陣痛はちゃんと子どもをさずけてくれるものである。助産師の実習は、人智を超えた圧倒的な自然の力を感じる日々であった。