(前記事のつづき)
周産期センターで助産師の見習いをしていた半年間は、自分にとってターニングポイントだったと思う。
こどもが苦手だったから、自分自身は、こどもを生まないような気がしていた。
それだけに、職業をとおして人の誕生にかかわることができたら、すばらしいだろうなぁ、という気持ちがあった。
また・・・それ以外の気持ちを正直にいうと、それまでの臨床実習で、さんざん人の死や病気の苦しみにたちあってきたから、同じ病院内に、これほど生命エネルギーのあふれる場所があったのかと、まぶしいくらいの輝きを感じたのだった。
そして実習を重ねる中で、それまでと認識が180度かわったのは、『陣痛』についてである。
この記事のタイトルは陣痛のことを指す。
『痛』という漢字によって痛みが強調されて、こわがられたりしているけれど、実際は偉大なる自然の恵み。
この『送り出す力』こそ、出産の立役者なのである。
微弱陣痛といって、なかなか陣痛が本格的に強まらない場合があるけど、微弱だから楽でいい、ということはない。
なかなかお産が進行しないというのは、苦しいことだ。
見習い助産師は一度担当したら、その方が無事出産されるまで、ずっと付き添う。
微弱陣痛の人が、長く待機室で過ごしているうちに、あとから入院された方のほうが先に出産されることもあった。
なかには、微弱の原因は赤ちゃんが産道より大きいため、と判明し、帝王切開になった人もいた。
自然というのは、よくできていて物理的に無理な作用は起こらない。
陣痛は、赤ちゃんを産道にむかって下降させる力と、産道を開かせる力、両方をもっている。
「産道がひらく」というのは、文字通り、赤ちゃんがくぐりぬけるだけのゆとりをもった広さができることで、おかあさんの意志の力でどうにかできることではない。
陣痛という自然の力が作用して、時間をかけて扉がひらいていく。
①陣痛が規則的にくりかえし起こるようになってから、産道が完全にひらくまで
②ひらいた産道内を赤ちゃんがくぐりぬけて生まれてくるまで
①は待機の時間、②は、お産の本番という感じであるが、じつは①の時間のほうが②よりずっと長い。
長い待機である①の時間帯を、自然の力であるところの陣痛を信頼できる心もちでいるほうが、有利である。
これから出産を経験される人の中には、『たえがたいほど痛むのだろうか?たえられるのだろうか?』ということを心配している場合があるけど、基本的にたえられるしくみを持っているものである。
痛みが苦手で・・・という方には、じつは陣痛こそが、子どもに出会うまでの道のりにおいて、後押しをしてくれるいちばんの味方であることを思い出してもらえたら、と思う。