職業につくまで | 風の日は 風の中を

風の日は 風の中を

~職場や学校で不安感に悩んでいる方へ~
「不安とともに生きる」森田理論をお伝えしたいと思いブログを書きはじめました。
2011年9月からは、日々感じたこと、心身の健康などをテーマに日記を綴っています。

私は初めて就職したときから保健師という職名で、現在までこれ以外の仕事をしたことがない。

職場は精神保健センターや保健所などで3、4年のサイクルで異動があった。

現在は一般企業勤務だけど、たぶん一生この職種なんだろうと思う。

看護系の学校に通っていて最初の頃は医療機関の看護師をめざしていた。

大学附属病院のさまざまな科を臨床実習でまわっていった。
いろんな患者さんとお会いして、中でもお年寄りや小さなこどもさんからは好意的に接していただいたけど、自分としては、高齢者の方々はわりと好きだったが、こどもは苦手だった。

大学病院に入院している子のなかには難しい病気の子もいて、痛々しかった、というのもある。そうでなくてもこどもの存在は、ときどきあまり直視したくない残酷な現実をつきつけてくるように感じるときがあった。

あるとき新生児室に実習に行った。赤ちゃんが好きな人は、たくさんの赤ちゃんに会えると喜んでいたが、私は全然カワイイという気持ちを持てないでいた。

新生児たちは大きい部屋で集団保育されていたが、個室もあって、そこには新生児より月齢のすすんだ赤ちゃんがいた。
その子は、いくつか先天異常があり、口唇裂という障害を手術で治すことが決まっていた。
手術の日まで、個室で過ごすその赤ちゃんを、私は担当させてもらった。

上唇の裂けているように見える部分を指でそっと押さえてあげるだけで、ミルクを上手に飲んでくれた。
そして、飲んでいる間じゅう、ずーっと私の顔を見ていた。
赤ちゃんをあやすのが上手い人は、よく自然に声かけをしている。
私はそういうことができない。大人にはいくらでも自分から話しかけるのだが・・・。
無言でミルクをあげていたのに、その赤ちゃんは私のことをおぼえてくれた。
次の日も、また次の日も、上唇の傷をふさいでミルクをあげる中で私たちは仲良しになっていった。

おかあさんじゃないのに信頼してミルクをのんでくれたその子が大好きになり、手術の日がきてお別れするとき、寂しくて涙が出た。
こどもが苦手な私に、はじめて可愛い存在なのだと実感させてくれたその子との出会いによって、私は助産師になろうと考えるようになった。
その子との出会いから2年後、国家試験を受けて書類上は助産師になった。しかし・・・就職のときまで、その思いを貫くことができず、保健師の道を歩くことになった。
めざしていたときは、かなり真剣で周産期センターというところで半年、研修を受けた。
その半年間は、昼も夜もない感じで(・・・というのは出産は文字どおり昼も夜もないようなものなので)ハードだったが、一方で感動の多い職場だった。
このお正月、そのとき一緒に実習をした仲間に会った。
その友人は私と違って初心を貫き現在も助産師として周産期センターに勤務している。
その子から、もう一度、臨床現場に戻ってきませんかと声をかけてもらい、うれしかったが、今の職場にもやっと慣れたところだし、ブランクもありすぎて、とても戻れそうにない。

でも、命の誕生の現場に立ち会うことができた、すばらしい体験を忘れてはいない。本当に得難い大切な学びがあった。
また機会があれば、あのときのことを、ブログにかいてみたいと思っている。