いかがお過ごしでしょうか?

最後のブログを書いて、5ヶ月近くお休みしていることに気付き・・・びっくりしました。

足を運んでくださる方、ありがとうございます。


さて、この5ヶ月の間に、沢山の喜びと悲しみがあり・・・ジェットコ-スタ-に乗っているような・・・そんなめまぐるしい時間を過ごしていました。


最後の日記で、赤十字の勉強会に参加している・・・と書きましたが、その勉強会の最中に、祖母が他界しました。

覚悟もあったし、不思議と寂しさも感じず、いつも傍にいる感覚がある所為なのでしょうか・・・


それから、親しい友人との別れ、それも特大に痛い思いをしたわかれもありました。


そうかと思えば、新しい人と出会ったり、音信不通の人ととの再会があったり・・・


資格試験の勉強をして、試験に臨んでみたり・・・


やりたいことが具体化してきて、そのための行動を取り始めたり・・・


流れに乗っているのか、よく分かりませんが、正夢が数多くあったり・・・



今の心の持ちようは、とても穏やかです。


最近、気付くと何に対しても、「ありがとう」と言っています。

朝目を覚まそうとするとき、肉体に“戻ってくる”という感覚があります。

どこへ行っているのか・・・分からないけれど、戻ってこれたことに・・・朝、目が覚めることに“感謝”。


身体が、自然に呼吸をしてくれたり、細胞を生かしてくれていたり・・・

当たり前に思えること・・・

心臓が動き、血液が周り、コンピュ-タ-でいうと、スリ-プ状態から、起動になるための活動が始まる。


凝り固まった寝相で、起きたとしても、伸びをするとすっきりする。


些細なこと・・・?

些細かもしれないね。


でも、嬉しいんだ。


私は、五体満足だし、生活していける力もある。

それは、とても幸せのことのように感じるの。


私が“生きる”ために、沢山の命を貰い、沢山のサポ-トがある。


一人に感じている人もいるだろうか・・・

でも、よく考え、周りを見渡すと、思い出すかもしれないね?

実は、一人しかいないように感じているだけだって・・・


例えば、キャベツ一つにしたって、種から育ててくれている人がいる。

手をかけ、育ててくれている人が・・・

そして、それを収穫し、市場で人を介し、八百屋さんに並ぶ。

そのためにだって、市場へ運ぶ運転手や八百屋さんの人たちがいるよね。

もし、あなたが、レストランで食べたとしたなら、シェフやウエイタ-達がいる。


一つ一つが、自分の手作りでない物とするなら、その目の前の物は、必ず誰かの手を介して、貴方の元へやってきている。

それは、すごいことだよね。


それは、沢山のサポ-トの一つじゃないかな?


「一人っきり」と思っていたら、一度立ち止まって、周りを見てみよう?

きっと、気づけることが、あると思うよ(^^)

週末と今週末かけて、赤十字の講習に参加しています。


そこで、講師をしている人・・・この人はボランティアで教えてくれているんだけれど・・・に、実際起きたことだそうだ。


みんなは、目の前で人が倒れたら、どうするだろうか?

もし、自分の大事な人が倒れたら・・・・


オロオロするだろうか?

誰かに助けを求めるだろうか?

それとも、蘇生法をやるだろうか?


講師をしてくれてる人は、こういう経験だった。


倒れた人がいた。


彼は、すぐに蘇生法を行った。


でも、野次馬が彼に言った。


「もう生きてないよ。諦めろよ。」と・・・


何の権利があって、その野次馬はそういったのか、私にはわからない。


もし、その人に意識があったら・・・

もし、その人が、生と死をうろついていたら、その声を聞いて、どう思うだろうか・・・



自分に置き換えてみてほしい。


大事な人が倒れた・・・

蘇生法を君は行う。


でも、野次馬は言う。

「もう無駄だよ。」って・・・


君は、あきらめるだろうか?


答えは「NO」だろう。



逆に君が倒れた。

そして、君の大事な人が、君に生きてほしいって、一生懸命蘇生法を繰り返す。



一度やったことのある人は、わかると思う。

蘇生法・・・つまり人工呼吸と、心臓マッサージは、とてつもなく体力を要する。


まず、呼吸を確認する。

呼吸をしていない。


すると、息を吹き込めるかどうか、2度ほど、人工呼吸をおこなう。

そして、心臓マッサージ。

1分間、100回押すイメージ。

つまり、1秒間に1.5回くらい。

それを30回やって、人工呼吸を2回。

それを、5サイクル。


心臓マッサージは、上半身を使って行う。(参照:http://www.jomon.ne.jp/~takeuchi/cpr/



それほど、大変なことを君の大事な人は、「生きろ!!」って、言いながら行ってくれるんだ。


その時、野次馬が言う。

「もう駄目だよ。やるだけ無駄だ。」て・・・


君は、どう思う?


君の大事な人は、黙々と君を信じて蘇生法を行う。

でも、段々と疲れてきて、悔し涙が君の上に降りかかる。


君は、生きることをあきらめるだろうか・・・

いや、諦められるだろうか?


たった野次馬が言った一言で、君は、細い生きる希望の糸を手放さないだろうか?


救助を行う人間は、君が生きることを信じているというのに・・・


救助は、一人でできるものじゃない。

たくさんの協力が必要なんだ。

たとえ資格がなくても、講習を受けていなくても・・・だ。


119番通報(つながらないときは、110番に連絡し、消防庁へつなげてもらうのも手だ。)

毛布やAEDを持ってくる。(http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%BC%AB%C6%B0%C2%CE%B3%B0%BC%B0%BD%FC%BA%D9%C6%B0%B4%EF/detail.html?from=websearch

野次馬をとおざける。

緊急車両を誘導する。

・・・・・できることは、本当にたくさんある。


だから、見て見ぬふりはしないでほしい。

緊急車両が、到着するまでの、今は、時間がかかる。

そのためにも、一人でも多くの力が必要なんだ。


ただ、最後に一つだけ・・・

自分の状況を確認してから、救助にあたってほしい。ということ。

なぜなら、あなたの無事があっての救助だからだ。

今は、血液の問題があったりする。

手袋の代わりに、スーパーの袋でもいい。

まず、自衛をしてほしい。


そして、見守るのもいい。

その時は、自分にできる最大限のことをしよう。

「生きろ。」と、天に頼んでもいい。


「生きる」


私たちは、本当にたくさんの人たち、精霊達に守られていること。

ただで、そして、楽に呼吸を出来る。

この、幸せを感じてほしい。

生きていることに感謝してほしい。


このブログを通して、読んでくれている貴方に、幸多からんことを・・・



お元気でしょうか?

お久しぶりです。


このところ、目まぐるしく自分を取り巻く環境、もちろん自分自身のことも含め、変化が起きていて、どうしたものやら、また、どうなっていくのかさっぱりわからない状況にいて・・・


流れに身を任せられるようになったきたようで、思いもかけないと時に、思いがけない場所へ行かせられたり・・・


そんなつい先日あった出来事を紹介しますね^^


きっかけは、友人のTちゃんが、「大船観音に会いたい。」と、発した言葉がきっかけでした。

彼女も「いつ行くのか」全く決まっていなかったようですが・・・まして、私と一緒に行くなんて思っていなかったと思いますが・・・


その話を聞いていた翌日、電車に乗るたびに「大船」という文字を、2、3度ではなく、5度も6度もみれば、「何か意味があるな」と思って、Tちゃんに連絡をとりました。


ところが、Tちゃんの方が、ピンとこなかったみたい。


すると、翌日、Tちゃんから、「水曜日の午後の予定が、キャンセルになったので行くけれど、一緒に行く?」と聞いてきた。

ところが・・・

今度は、私がピンとこなかった。


でも・・・


水曜日の朝、頭の中で「大船」「大船」と、文字や言葉が浮かぶではないか・・・*。*


そして結局、大船駅で、Tちゃんと約束し行くこととなった。


そう、毎日毎日がこんな感じで、もともとの予定はあったとしても、「確定」じゃなく、思い浮かんだ所に行かせられる。

でも、ちゃんと、予定には間に合うんだ。


なぜ「行かせられる」のか・・・


「行くんでしょ?」って、指摘を受けそうだが、私は、メッセージを受けっていると思うからである。

電車でも、頭の中に浮かんだことでも・・・


もちろん私たちには、いつも「選択権」というのがある。

メッセージだろうとしても、それを受け取るのも、とらないのも、その人次第・・・だと思う。


でも、私はさんざんメッセージを拒否してきたのだ。

そして、受け取ったとき、あまりのタイミングのよさと、素敵な出会いを体験して、拒否するより、感謝して受け取った方が、気持ちがいいものなのだ・・・と、知ったからだ。


今回、「大船観音」に会いに行った。

そして、拝むというより、身近な存在であることを感じた。


帰り道、境内を掃除していた、小僧さん(?今、こう言うのかな?)にお話を伺った。

すると、『観音』というのは、先ほど、私が感じたように、とても身近な存在であること。を教えてくださった。


私たちの中に「慈悲」という心がある。

それを、大きくしたのが、「観音」の存在なのかもしれない。


もちろん、「慈悲」の中には、様々な思いがある。

相手のためを思えば、時には「怒り」時には、相手のためを思って「悲しみ、泣き」そして、相手の今まで生きてきたことへの「承認」をするのだろう。


「愛」だと思う。


天が私たちを愛するように、私たちも天を愛し、生きとし生きるモノを愛す。

すると、思いがけないプレゼントがやってくるのだと思う。


「大船観音」を出た私たちは、予定してなかった「鎌倉」へ、行くこととなった。

鎌倉の鶴岡八幡宮に、行くこととなりました。

境内を一巡すると、脇に「白旗神社」という、黒塗りに金の装飾をして、ちょっと、ゴージャスに見える社を発見し、見に来ました。

見ながら、友人と話していると、おじさんがやってきて、声をかけてきました。


彼は、愚痴るのです。

鎌倉の街がすたれてきてしまっていること。

観光客のマナーが、だんだん悪くなってくること。

住んでいる彼とすれば、毎朝バーベキューの香りで、目覚めたくないでしょう。


そんな話を聞きながら、視点を変えてみるようにしてみては?と、はなしてみるのです。

・・・が、彼自身も言っていましたが、「共存」つまり、新しい住人・・・大抵若い人らしいのですが・・・とのやり取りをしないとのこと。


でも、彼らの方が売り上げがいい。


その秘訣や、若い新しい風を受け入れられないらしい・・・


せっかく、「共存」できる、チャンスがやってきているのに、彼は、気づけてないようです。


そう、今時代は、「共存、共有」という、時代でしょ?

「誰かのために・・」という、力の入ったものではなく、気づいちゃえば、「あなたもそうだったの」って、手を取り合える、時代なんだよね・・・


意味は、わからなくていい。


でもひとつだけ・・・

今まで、ブログを読んでくれている人は、わかっていると思うけれど、ちゃんと自分を「愛」しましょう。

「愛」というのは、形がありません。

じゃあ、どう判断するのか?


実は、その基準さえもないと思います。


言えることは一つ。


自分が気持ちがいい状態でいること。

自分が気持ちいいと、知らず知らず、相手のことを受け入れてる・・・そんな自分がいると思ます。



「・・・しなければ」は、もう止めましょう。


「・・・したいの!」という、気持ちで、それを探っていきましょ?


週末は、足の向くまま気の向くまま、小旅行を試してみてはいかが?

「遠い」と、思い込んでいた場所が、意外に近くてびっくりするかもしれませんよ?