『弱くていいんだよ。』

というのは個人的にはあまりしっくりこない言葉です。

 

『私は弱い。』 と思っている方をみても

別に弱いとは思わないんだけどね。

 

でも、そう言うその人には弱くみえるんだな。と思ってしまう。

 

そもそも弱いとか強いとかも、どうでもいいかな。

どっちでもいいじゃんだから。

 

 

弱いから 今そうなっているとか、

弱いから メンタルがおかしくなってしまったというよりも

そうなる出来事があったか。ないか。だと思ってるかな。

 

妻がうつ病になってしまったのは、そうなる出来事があったから。

自分がうつ病にならないのは、そうなる出来事に出会っていないから。

 

今、面白おかしく生きてる人も

今、幸せで充実して生きている人も

それなりにメンタルが強い人だって

 

そうなる出来事や状況になれば同じようにそうなってしまうんだから。

高齢者の場合では

 

『主治医』 ⇔ 『家族』 ⇔ 『本人』 という図式になるかな。

うつ病気を抱えているのが未成年の場合でも同じ感じになるのかもしれない。

家族が橋渡し的に両者の間に入ることになりますね。

 

うつ病を抱えている方がまだまだ若い世代の場合は

『主治医』 ⇔ 『本人』 ⇔ 『家族』 という関係性になると思う。

主治医とのやりとりは本人が直接。

家族側は、本人を通じて現在の状況を把握することになりますね。

あくまで本人と医者とのやりとりで、家族はそのやりとりを見守る立場。

一般的にはこの状況が多いでしょう。

 

うちの場合では、

 

『妻』 と 『お義母さん』 と『主治医』 との関係性は前者。

『妻』 と 『自分』 と『主治医』 との関係性は後者。

 

家族としての立ち位置や求められる役割も違ってきます。

だから家族としてこうしてくださいというのは同じではないんです。

 

そういう区別をせず 

未だに家族に向けて同じことしか言わないのだからそれは上手くいくはずがないですよ。

本人にとってはそれでいいかもしれないが、

家族にとってはそうはいかないということをまったく考えられていない人達が

うつ病がなんたるかを語っているのだから上手くいかないのは仕方がない。

 

高齢者の場合は

主治医とのやりとりは家族を通して本人へ。

本人から家族を通して主治医へ。

または家族から見た本人の現在の状況を主治医へ。

家族が間に入る役割が多くなる分、家族としての大変さは多くなるし

見守るというよりは直接自分で手をかけていく方向になる。

 

同じうつ病をサポートする家族と言っても

そういう違いがあることを考えるのはとても大事なことと思う。

 

「家族の方が本人にそうさせてくださいね。」

「家族の方が気を付けるようにしてくださいね。」

そう言われることが多いのだから。

 

家族の方が。という点では、高齢者の場合は

どちらかといえば介助や介護に近いことになってくる。

家族として直接介入しなくてはならないことが多くなる分大変さはより多くなるので、

家族自身としても気をつけなくてはならないことは多い。

よく言う 『見守る』 ではなく それこそ『管理』 のような感じになってくるよ。

 

うちの妻が、お義母さんとのことでわかっていなくて

辛く感じてしまっていたのはそういうところだったかな。

頭で考えている病気への理解と、実際にやるのでは違うんだよ。

というところをいまいちよくわかってはいなかった。

 

妻自身もうつ病経験者だったから、気持ちや大変さは理解は出来るようだったけど

いざサポートとなると理解だけでは思うように上手くはいかないんだよ

というのを理解出来ていないと辛い事ばかりになってしまう。

 

その辺りをわかっていないで家族にこうしてくださいねと言う お花畑達は本当に多い。

 

 

ちょっと動かなかったら高齢者は本当に動けなくなっていってしまう。

 

だから、 家族の方はなるべく体を動かしたり歩いたりするようにさせてくださいね。

という話になってくるが、

それを家族として本人にさせることの大変さや苦労を本当に知っているだろうか?

 

言うだけは簡単。実際にはそれが難しい。

『見守る』 しか言えない人達は状況によって家族としての違いがあることを理解していない。

 

そういう人達が言っている事が正しいと信じたり鵜呑みにする人は

自分でそっちを選んだのだからもう仕方がないとしか思わないが

家族の方へ。 というのならその状況に合わせて説明はちゃんとするべきだと思います。

 

 

※追記

  2021年8月より介護保険が一部改正されます。

  負担段階3が2区分へ細分化されることにより

   『介護保険負担限度額認定証』の発行条件が厳しくなります。

   今まで条件に当てはまっていた方も対象外になってしまう可能性もあります。

   また、負担段階2、3の方の食費負担も増額されます。

  家族によっては金銭的な負担増もあるかもしれませんよ。

  介護保険料の納付開始年齢も40歳から引き下げるという話もあるし。

 

 うつ病って、別に うつ病のことだけでいいわけでもなくこういうことだって絡んでくる。

 介護、介助については自分であれこれ調べない限り

 よほど親切な人でもない限りあれこれは教えてはもらえないことが多かったりする。

 

 自分にはまだ関係ないことだからで済ませてしまう人も多いですが

 知っているか知らないかでいえばそういうところでも大きく違ってきてしまいますので、

 将来的に自分にも関わってくる可能性のある事については

  今からでも少しでも興味をもっていてほしいなと思います。

  それで自分が助かります。

 

昨日は、妻の実家の草取り2回目に行ってきました。

 

前回からなかなか行けなくて少し間があいてしまいましたが

誰も住んでいないと草が伸びるのが早いですね。

1回目の草取りのときに除草剤を撒いていなかったので

結構伸び放題になってしまっていました。

 

今回はちゃんと除草剤を撒いてきましたが

結局、1回目のやり直し程度ぐらいになってしまいました。

敷地の残り2/3は早めになんとかしないとです。

 

軒天の補修は義理兄さんのほうで修理する話なんだけど

半年経ってもいっこうにやってもらえる気配なし。

ホームセンターでケイカル板を購入して

自分でやってしまったほうが早いのですが

妻からは『パパばっかりやることになるからダメだ。』

ということで止められています。モヤモヤしているのも我慢です。

 

 

 

 

えっと、

 

自分で納得できないことは、無理に納得しようとしなくてもいいかなと思います。

個人的には。

 

許せないのも 憎いと思っていることも

別に無理に手放さなくてはと、自分の本心とは違うことで塗り潰そうとしたとしても

きっと本心からは納得は出来ないんじゃないかな。

 

お花畑達は自分のために手放したほうがいいなんて言うけどさ。

別にそうしたほうがいいなんて決まっているわけじゃないと思うかな。

 

別に許せない事があっても 憎い人がいても

自分がそれに飲まれなければ大丈夫だと思うかな。

許せない自分でも 人が憎い自分でも別にいいだろう?

それを何が良いかなんて勝手に決めるなよって話だよね。

そういうところもお花畑は嫌いかな。

許せないのも憎しみも、自然と薄れていくものだろうから。

 

 

ただ、恨まないようにはしたほうがいいとは思いますね。

恨みは晴れるまで延々と自分が縛りつけられてしまうから。

 

自分が直接手を下して晴らすか、相手が不幸になるまで待つしかなくなる。

だいだい、そういう奴に限ってなかなか不幸にはならないからね。

だから恨みはずっと自分に中に残ってしまうことになる。

その恨みに振り回されて自分自身がおかしくなってしまったり

自分の人生を無駄にしてしまうのももったいないから

許せなくても憎くても 恨みだけは持たないようにしたほうがいいかな。

 

そもそも、奇麗な自分(善人)であることを意識し過ぎているように感じる人が多いですよ。

別に善人な自分じゃなくてもいいじゃん。

 

ちょっとぐらい何かあったって大丈夫だよ。

 

自分なんて、妻の働いていた会社や その上司達のことは

未だに本心では許してはいないし憎んではいるから。

それでも大丈夫だ。

 

だから自分の本心に嘘をついて無理に納得させようとしなくてもいいと思うよ。

 

 

 

※ 別に義理兄さんを悪く思ってはいないですよ。(笑)