この話はもう20年近く前に勤めた会社での出来事だ。
この会社はオーナー会社だ。
社長はオーナーの妻がやっていたが、実質的経営決定はビジネス上のキーマンである夫のH氏がやっていた。
業態を言うとピンポイントで判るのでここでは言わない。
一般的には珍しい部類の業態とだけ言っておこう。
凄いブラック企業だった。
私が勤め始めたのは、2001年1月からだった。
それから約18カ月間、この会社に居た。
2つの法人が1つのフロアーに居たが、
従業員数は10名程度だった。
私が勤めていた法人はH氏のビジネスを中心として動いていたため、
日々彼と接することになった。
H氏には様々なルールがあった。
運転手付の車で会社に来て、車から降りた段階で、
その日の業務に直接関係する従業員全員が、
お出迎えして挨拶をしなければならなかった。
2Fの事務所に上がるとH氏はスタッフに挨拶をするのだが、
何をしていてもこの挨拶に応えないとならなかった。
私は一度、外部からの電話に対応していた際、
挨拶をしなかったことがあり、随分と嫌味を言われた。
私が居た18カ月間で、2つの法人で5人が辞めた。
1人はH氏の新人運転手で、道を間違えて約束の時間に到着出来なかった事が理由。
現場で怒鳴られ、そのまま解雇された。
(これは法律違反である)
1人は、ある夜、H氏が仕事場から深夜帰宅する際、スタッフの些細な言動にキレまくり、怒鳴り散らした事に癖癖とした従業員1名が、翌日から出社拒否をし、そのまま退社扱いとなった。
また一番年長の従業員の1人は、ある委託先の地方の現場で業務が終わった後の食事会の最中、同行していたH氏が彼の仕事ぶりをネチネチと詰り始めた。
それ以前からH氏は彼の仕事ぶりに激怒したり詰ったりしていたが、遂に彼も堪忍袋の緒が切れて、宿泊施設から居なくなり、そのまま退社扱いとなった。
残りの2人のうち1人は、再就職先が取引先に関連した法人だったことがH氏にバレないように相当な気を使っていた。理由は、知られると法人に圧力をかけて雇用の邪魔をされる可能性が高いからだと言っていた。
H氏は、普段から仕事中や仕事のやり方が気に入らないと激高してかなり酷い語調で相手を詰ったり人格否定的な内容で叱責する事が多かった。
当時はまだパワハラが一般的ではなかったが、当時でもアウトのレベルだったし、今なら社会問題になるほどだろう。
従ってこの会社は従業員の出入りが激しく、後で知ったのだが、私の前任者は2週間で退職したと言う。
私もこの会社に勤め始めてからしばらくして下痢が止まらなくなってしまった。
それでも私は必死に対応していたと思う。
最悪だったのは、この会社は深夜労働が状態化していたのだが、残業代は一切出ず、また終電後に業務が終わってもタクシーを使っての帰宅を認めていなかった。
従って私は何等かの工夫をせざるを得ず、終電後になった場合は、何故か別法人の同僚にだけ認められていた車が私の自宅と同じ方向だったため、相乗りする形で送ってもらうことで凌いでいた。
しかしH氏の運転手は、深夜の勤務後、会社の小さな倉庫においてあった汚くて小さいなソファーに身体を横たえて寝ていたが、とても眠れるような場所でなかった。
社長である妻は、朝、出社するとその人物が寝ているのを何度も見ているが、平然としていた。
またこの会社には有給が一切なかった。
全ての予定はH氏のスケジュール優先だったからだ。
従ってこの18か月、自分の予定を殆ど立てる事が叶わなかった。
しかし妻である社長は自分の都合で適当に海外旅行に行ったりしていた。
どういう神経をした女なのだろう?と当時思っていた。
18か月の牢獄のような経験後、私はとある上場会社に転職を果たした。
その会社の労務環境は辞めた会社と180度異なり、全てがバラ色だった。
また給料は1.8倍くらいになり、有給は多く、福利厚生も抜群だった。
私にとっては実に幸いな転職となった。
長い間止まらなかった下痢は転職後1週間で回復した。
オーナー会社にだけは努めてはならないという教訓を学んだ。
今でもあのブラック企業の劣悪な環境に良く耐えたなあ・・と思う。