私のような世代、つまり昭和30年代前半に生まれた人間からすると、SEALDsと学生運動をしていた人たちの影が重なる。
1960~70年代に盛んだった学生運動は、子供心に様々な意味合いを落としてくれた。権力に反抗し、ベトナム戦争反対を唱え、日米安保改定反対を訴え、共産主義的世界同時革命を実行しようと暗躍する、そういう世代の人たちだった。
あさま山荘事件とその後に連合赤軍の犯罪、また三菱重工業本社爆破やよど号ハイジャック、テルアビブ乱射殺戮事件などを経て、大衆の学生運動へのシンパシーは完全に離れてしまった。
彼らの活動は、犯罪的な行動と社会不安以外、ハッキリ言って何らのポジティブな成果を社会に残さなかったと言っていいし、一般市民に多くの死者や被害者を出した。
これは事実だ。
SEALDsのメンバーの活動やその履歴は、かつての学生運動ほどの過激さはないが、時代を経ても疎まれている理由は、かつての学生運動をした連中と根本的な部分では似ていると感じられているだろう。
SEALDsのメンバーたちを共産党や当時の野党勢力が彼らを利用したように見えるのは明らかだし、逆もあっただろう。
メディアにも好意的に取り上げられて、ちょっとした有名人気分で有頂天になっていたかもしれない。
SEALDs解散後、本来は、SEALDsのメンバーたちの居場所は、野党政党やその周辺であろうが、こうした政党関係者が彼らを社会的な意味で救っていないから記事のようになっているのだろう。
つまり、彼らを何等かの形で雇用したり仕事の紹介などをしなかったという事だろう。
かつての学生運動をしていた人たちは、警察に逮捕された人たちもいたため、一般的な会社への就職は困難だった。
従って彼らが入り込んだのが、比較的就職の査定が緩かった、テレビ局、新聞社、出版社、映像制作会社、音楽業界、芸能界などだった。
現在でも大手メディアが左傾化している理由は、この時の人材の名残りが未だに根強くあるからだ。
そういう意味で、SEALDsのメンバーたちは、社会から疎まれ、かつて彼らを利用したように見える野党政党からも救いの手をもらえず孤立してしまったと言っていい。
またかつては受け皿になっていたはずの業界も、昨今のビジネスモデルの変化で受け入れるだけの器を失っているから猶更だ。
本来、SEALDsのメンバーたちは自分たちの政党を作るか、既存の野党政党に食い込むべきだったが、そこまでの資金も知恵も無かったのだろう。
また、野党各党が彼らを取り込まなかったのは、ひょっとしたらSEALDsのメンバーたちにはそれほどの能力を感じていなかったのかもしれない。
要するに、当時の彼らは自分たちが対抗しようとしている問題、課題に対して現実的な理解と把握をしており、それが今後の自分の人生にどのような影響を及ぼすのだろうか?という事を理解して行動していたのか?という事に尽きる。
1960年代の安保改定闘争においても実際に改定の中身を理解して反対していた学生は皆無だったろう。そもそもアメリカと組む事が反対で、では、その代替案と云えば、現実的には出来ない絵空事しか言えない人たちだった。
若さ故、という言葉はあるものの、人生での選択を誤ると、後々に影響を及ぼす事は避けられない。
彼らの当時の行動を1から10まで誤っているとは思っていないが、ネット時代において、社会で注目の集め方や主張内容を誤ると、得意自分の履歴がネットに残る時代においては、予想外の不利益を被る事は理解しておいた方がいいだろう。