読売新聞報道の引用をする。
隣家の池にすむカエルの鳴き声が耐えられない――。東京都板橋区の住宅街で起きた「騒音トラブル」を巡り、住人の男性が隣家に「全てのカエルの駆除」と75万円の損害賠償などを求めた訴訟があり、東京地裁(益留龍也裁判官)は23日、原告側の請求を全面的に棄却する判決を言い渡した。「カエルの鳴き声は自然の音の一つで、我慢すべき限度を超えているとはいえない」との判断だった。
もう一つ。
世の中には色々なヤツがいるが、こういう手合いは常識や理解を超えている。
云い方は悪いが、基本的に🐴と🦌の部類である。
もうちょっと言えば、チンピラである。
まず、以下はカエルの声に関する原告が被告とされる人にあてたメモのようだ。
「田んぼの持ち主様へ
カエルの鳴き声による騒音に毎年悩まされています。
鳴き声が煩くて眠ることができず非常に苦痛です。
騒音対策のご対応お願いします。
近隣住民より」
ペットでもない隣家のカエルの鳴き声とカエルの存在が隣家の責任だと考える原告の思考回路は論理飛躍度が凄すぎて理解を超えているのだが、この訴訟が成立すると考えた原告の行動には全く寄り添えない。
カエルの声なんて自然の音だろう。
苦痛を感じる人がいることまでを否定をしないが、そうであれば耳栓を買って寝ればいいだけだろう。
中には親切な人たちがいて、原告の気持ちを代弁する優しさをまとった人たちもいるが、ここまでズレまくった感覚を持った人に寄り添うことはないだろう。
相手は自然音であり、被告には全く非がない。
田んぼにカエルがいなくなったら、害虫だらけになるという基本知識もないのだろう。
こうした訴えは完全に無視し、裁判するほどの事じゃないと断定するのが一番正しい。
そういう意味で裁判結果は妥当と言っていいだろう。
水戸市長も同様の見解と見た。
バスの運転手さんがサービスエリアで食事をしていた事でクレームを入れた人物は、本物の🐴🦌だろう。
多分単純な思考回路しか持ち合わせていない、教育レベルも低い可能性さえ感じるほど単細胞な行為である。
自分が正しいと勘違いしている連中に多い行為だが、こういう連中のおおくはチンピラレベルの頭脳しかない。
寛容とかを語る以前の問題だろう。