多くの人は、若い頃にはリベラル色の強い思考回路だろう。
権力や体制、規制等、僅かで自由を縛るものへの生理的、体感的反感が強いからだ。
私もそうだった。
例えばロックミュージックなどの音楽を嗜好するという心理背景にはそうしたものがある。
我々よりも一世代上の団塊の世代だとフォークミュージックがそれで、髪を伸ばし、自由な風体でいることが美とされていた。
自由に生き、自由に考え、お互いを尊重し、戦争も争いごともない社会にする。
ユートピア。
しかし、そんなものは現実にはなかったことを我々の世代は知っている。
その彼らも大学を卒業するころには、一般社会人としてに身だしなみを要求されるようになり、多くはそれに従いながらも、心の内を燃やしていただろう。
「いちご白書をもう一度」というユーミンが作曲した曲があるが、歌詞の内容は当時の若者のそうした心理を反映してヒットした。
多くの若者も結婚し、子育てをし、会社の中で現実社会と向き合う経験をする間に、現実がどのように動いているかを思い知らされる。
私は成人して選挙権を得てから全ての選挙で投票している。
しかしいつもモヤっとした違和感が残っている。
民主主義とは分厚いグローブをまとった手で現実を触るような感覚がある。
必ずしもマジョリティの意見が自分の意見と合致する訳でもなく、またマイノリティが正しい事を発信している訳でもない。
大抵の場合、その間、つまり合致している僅かな部分で答えとするしかないからだ。
国政選挙の折、各国会議員の主張と自分の主張を重ね合わせてみると、かなり応援出来そうな議員でも、細かい部分まで掘り下げると自分との相性は70%程度だと判る。
40%を切ると、政党関係なく相性が悪いし、共産党辺りだと0%に近い。
(共産党議員と合っていたのは消費税減税だけだった)
だから左右問わず、極端な主張や耳障りが良いだけで実現不可能な主張をしている連中には信頼が置けなくなった。
人権一つにしてもポジショントークしている連中ばかりで、例外なくご都合主義だ。
(ウイグルや北朝鮮の拉致被害者らの人権には触れず、違法難民や犯罪者の人権は代弁するような連中)
LGBTにしても、当事者を置き去りにして、税金を動かしてイッチョ噛みしようと考えている連中の思考回路が透けて見えるため、全く信頼が出来ない。
一番質の悪いのは、親切で優しそうな顔をして公金利権を貪ったり、日本の国益とは反対の主張や行動を積極的する連中だ。
共産党、立民、れいわ、社民などにはその傾向が強いし、自民党左派にも結構根深い病根がいる。
若い頃と違って権力=悪のような二項対立でしか物事を見れなかった時代と異なり、社会経験や自分の学びを通じて思考回路は成長する。
逆に言えば、年齢や経験を重ねてもそれが成長しない人は、「厨二病」と言っていい。
「厨二病」とは、日本の思春期の少年によく見られる、少し特殊な言動、行動を指す言葉、あるいは、思春期を過ぎたにも関わらず思春期のような痛々しい言動をする人間に対して使われるからかいの言葉だ。
厭世的、反社会的、空想的な行動、子供として見られたくなくて背伸びした行動を取ることなどを指す。
マイノリティを守る事と圧倒的マジョリティに圧倒的な不都合を強いる事は同じ意味ではない。
現在のLGBT法案はまさにそれであり、全く賛成の域にない。
性善説を根拠にするのは「厨二病」の人たちだ。
成熟した大人ならば、性悪説の存在を無視出来ず、当然それに対応することを選択枝に入れるだろう。
加えて海外での性悪説的事例も数多く見聞きされている現代だ。
「厨二病」の大人の痛々しさは、それなりの大学や難易度の高い試験を潜り抜けてきた連中にも存在することだろう。
「厨二病」はゲーム理論を知らない人たちだと言っていい。
現実社会は、多次元方程式を解きながら一致点を探す必要がある。
一致点は双方にとって妥協出きる部分であり、加えて一定の社会的合理性も必要となるし、同時に不条理を飲み込む力とも言える。
つまり単純思考の人間には出来ない。
ある意味で自由民主党が手ごわいのは、そういうことを乗り越えてきたからかもしれない。
人間社会は不条理に満ちている。
それを良しとはしないが、それを無視していたら成り立たない。
「厨二病」患者にはそれが判らないのだろう。