ホームランボールで炎上している。
以下の記事。
動画を確認したが、自分の座席から2~3つも横に倒れ込んで取っているし、多分だが一度は子供が取った感じのボールを無理やり奪ったようにも見える。
その後、子供の方を一瞥もせず、自分が取ったボールを悦に入って見ている。
彼の左隣のお客さん(男性)が、そこまでボールを取る?という呆れた表情をしているのが印象的だ。
私は、個人を特定してまでこの件を非難をするつもりはないが、SNS上では個人情報が特定されて拡散が始まっている。
どうやらこの方は、連休明けに面倒な人生を送る事になりそうだ。
彼の行為には全く賛成出来ないが、SNSでの過剰な社会的リンチも賛成しかねる。
それにしても、昨今の日本男児は、いつからこんな余裕のない子供っぽい大人が増えたのだろう?というような象徴的な行動だった。
現代は長生きになったことで、年齢よりも若く見える人も増え、以前よりも若作りした中高年が増えた。
それに伴い、結構いい歳しているのに未成熟な若者のような行動、言動をする人も目立つ。
彼らを否定するわけではないが、こういう人たちは、若い頃に何かをやり残してしまったのだろうか?とさえ感じる。
多くの成人が気が付いているように、年齢を重ねるてくると、自分の幼児性、少年・青年性の残骸に驚く事がある
40代でも残っている自分の未成熟さに気が付いて驚いた人は多いだろう。
それでも多くの人たちは、そうした残骸を人生経験や知識等で成熟させて包み込む。
従って成熟した大人であれば、幼児性、少年、青年性の残骸を垣間に見せながらも、成熟した大人の振舞いをするように努めるだろう。
「生涯少年!」を貫いて、外見も恰好も行動も、少年・青年性の残骸を剥き出しにしている人たちも少なからずいる。
私の感覚ではちょっと気の毒にさえ思えるが、こうした部分は個々の趣味嗜好や思考の範疇でもあり、私とは違うからダメという訳ではない。
しかし、成熟度のない大人を見ていると不安を覚えるのは言い過ぎだろうか?
今回のホームランボールを取った人の行動やその後のSNSを見ていると、40歳を過ぎた人間としては、余りに未成熟な行動を自然にしていた。
MLBの観客なら子供にボールを渡しているだろう。
子供たちが野球を未来に繫げることを理解としている観客の古き良き伝統だからだ。
人生でホームランボールを取る事は稀であることは確かだが、そのボールを家に持って帰ってその後どのくらい自分に必要な物になるかは、成熟した大人なら予見可能だろう。
子供に持たせてあげればずっと彼の記憶に残り、それはやがて未来の野球ファンを産むことになる。
大人が子供から夢や重要な記憶を奪ったら誰が与えるのだ。
大人というのはそのために居る。
私の時代の大人もそういう人たちだった。
だから今の大人たちはそれを次世代につなぐ義務がある。
連休の最中でそれとは反対の映像を見せつけられて、残念であった。