先ごろ経済学者で米イェール大学助教授の成田悠輔氏(38)が、「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という発言をして物議を起こした。

早稲田大学名誉教授で、社会心理学者として『テレフォン人生相談』(ニッポン放送)のパーソナリティを40年以上務める加藤諦三氏(85)は以下のように語ったという。

 

「こういう発言をするのは、心理的な成長に失敗した人です。現実の社会には、複雑な要素が絡んでいますが、彼のように、過激で極端な見方をする人は、その“現実”と接していないんですよ。」

 

その通りだと思う。

 

私は現在還暦を過ぎた人間だが、周囲には若い頃の自分を維持しようと必死に見える人たちが少なからずいる。

容姿、服装、行動、言動、話の内容などを若い頃と同じ様にすることが若さを維持していて素晴らしと考えているのだろう。

多分カッコ良いと思っているのだろうとも思う。

 

価値観の問題なので、彼らのそれは、それで良いと思っている。

でも心理的な成長のないままな人は、ちょっと見ていて辛いし、痛々しいと思っている。

 

若い頃と圧倒的に違うのは、人生経験や様々な学びによって、世の中が単純でなく複雑に動いていてままならないということだ。

若い頃に戦争反対、平和を守れ、憲法改正反対、核兵器反対、権力は悪だ!とか言っていたような人たちに心を寄せていたとしても、現実はそんな単純なスローガンだけで動く事はないし、非常に複雑な要因の中で営まれていると理解出来るようになる。

 

従って結構な年齢をした人が事を単純化していたり、矮小化したり、過激な意見や単純な見方をしていると、その人の知の薄っぺらさに驚いてしまう。

理想主義的と言えば美しいが、頭の中に蝶々が舞っているだけと云った方が適切だろう。

また、こういう人たちに特徴的なのは、自分の事は棚に上げて話す傾向が強いということだ。

先ごろ上野千鶴子氏の入籍が話題になったが、彼女はフェミニズムを全面に出し、結婚否定論者だった。

BMWに乗り、高級マンションに住みながら、貧しく平等になればいい語るのは、常に自分を別次元に置いているからだろう。

 

結構な年齢になると、自分の中に残っている少年性の周囲に、成熟した精神が包んでいるのがよく理解出来る。

そうした複雑な精神を宿してくると、外見や発言、行動に影響が出る。

 

こんな事を書いていること自体、ジジイになったとも言えるし、頑固になってきていることの査証かもしれないが、成田悠輔氏(38)の発言に接して感じた事は「君だってあと数十年もすれば高齢者の一員になるんだぜ」と考えた事と、「その年齢になった成田さんは自決、切腹してくれるんでしょうね」という事だけだ。

イェール大学助教授になれるほどの知があるのに、こんな単純な構図すら理解出来ないのは、明らかに人生で得ているものが少ないのか、彼自身のそうした精神的成長が備わっていない証だろう。

 

私の亡くなった母は、こういう人たちを以下のように総称していた。

母の言葉は余りにも的を得ていたので皆様に共有させて頂きたいと思う。

 

「利口バカ」
➡頭が良いだけで社会的に役に立たない人

 

以上。