中々面白いテーマの本であった。

著者は元々銀行員だったようだが、異業種から音楽大学の教授に転身しただけあって、視野の広い語り口に好感が持てた。

 

私は音楽大学を出ていないので、音大の実態には無知なのだが、音大出の人たちとは色々な意味で仕事をしてきた経験があり、外側から見える彼らの態様については狭い経験範囲内の実感はある。

これについては後述する。

 

著者が本書内で指摘しているが、音大全体の入学者は年々減少傾向にある。

既に新規入学者を受け入れないと表明している大学さえもある。

その中で定員を拡大して新入生数を伸ばしている大学があるが、これらはクラシック教育以外の分野、つまりエンタメコース、声優、舞台芸術などへの領域に学科を拡げ、経営を維持しているらしい。

つまり音楽大学が音楽専門学校の領域に入り始めている時代になっているという事だ

 

その心は?

 

簡単に言えば、これまでのようなクラシックを中心とした教育方針では、音楽で食えない卒業生が増えるばかりで、それによって新入生が獲得出来ないという悪循環に陥り、このループから脱出が必要だということに尽きる。

しかし、教授陣にクラシックからの脱却が出来ない現実が多く壁が高い。


著者は、大学において、音楽教育と共に、就職支援、社会で生きて行けるための最低限の経済知識、会計や財務諸表の知識、簿記をカリキュラムに組み込む必要があると訴えているが、これについては私も賛成だ。

(つまり今の音大にそういうカリキュラムが無い事の方が驚きだが・・)

 

本書の中で著者は、音楽は点数化出来ない部分があり不利な面があるが、音楽と結びついた思考や普遍性、共通言語としての強みを訴えている。
しかしこの辺りの見方については、私は若干だがネガティブな印象を持っている。

音楽の素養が実社会の中で役立つ事は認めるのだが、それが分かりやすく実利のある事業に結びつくというのは稀だというのが私の見方だからだ。

 

音楽はどこまで行っても教養でしかなく、実利面の科目にはなり難い。

 

私の個人的な体験で一般論化出来ない事は承知の上で書くのだが、音大卒の人には特徴的な感じがあったと思っている。

まず、例外はあるものの、多くはクラシックオリエンテット(クラシック至上主義)である点。

また、狭い価値観の中で生きている人が多いせいか、世間知らずが多いと感じている。

 

世界的にクラシック音楽の市場は狭い。

狭い業界では食える人間が限定される。

音楽市場は、ポピュラー音楽で維持されていると言っていい。

日本でいうポピュラー音楽、つまりJ-POP分野(ポピュラー音楽)において、音大卒出のミュージシャン(音楽作家含む)の成功例は極めて稀だ。

 

代表格で言えば、坂本龍一氏、葉加瀬太郎氏、フジ子・ヘミング氏などの名前は上がるが、こうした人たちは例外中の例外だ。

昨今は、KING NUEというバンドが人気だが、メンバーには東京藝術大学卒がいる。

 

また、作編曲家の分野において、加古隆氏、岩代太郎氏、千住明氏、久石譲氏、大島ミチル氏などがいるが、彼らも多くの卒業生からすれば例外的な存在と言っていい。

彼らは音楽家としての地位を構築出来た人たちであり、仮にやや世間ズレしているとしてもそれがネガティブにはならない人たちである。

 

一方J-POP分野(ポピュラー音楽)の分野の成功者にはユーミン、山下達郎氏、矢沢永吉氏、桑田佳祐氏、桜井和寿氏、井上陽水氏、吉田拓郎氏、小田和正氏など錚々たる面々の名前が浮かぶが、誰一人音楽大学の卒業生ではない。この中には譜面も読めない人だっている。

 

この現実を捉え切れていない辺りが音大の最大の欠陥だろう。

 

多くの音大卒業生の中で、ど真ん中の音楽活動で生計を立てている人は5%程度というデータがある。

 

 

企業就職者(企業、公務員、団体等)が34%であるようだが、音楽業界への就職率の情報はない。

音楽関係の講師も5%程度いるが、全体からすれば少数派と分かる。

 

つまり非常に短絡的な言い方をすると、音大卒業者は、大学の学びを社会に出てマネタイズし難い人材と言えるだろう。

何故なのか?

 

私は何度か音大出の人たちと仕事をした経験がある。

その少ない経験だけで一般論化するのは乱暴だと分かっているので、私の経験談としての意味として以下を記しておく。

 

まず、私が出会った音大出の会社員たちは、変なプライドばかりが高く、融通が利かない人ばかりだった。

どういう生き方をするとああした言動が身に付くのか不思議なのだが、長年様々な企業で働いてきた中で見て来て、あれほど世間知らずの人たちと会った事がない。

これは音楽大学で学び、卒業した人たちに共通していることなのかどうかは分からないのだが、どこかしら、公家っぽい嫌な感じがプンプンしていた。

それとも私が出会った人たちは例外だったのだろうか?

 

音楽制作の現場で働いている人たちにも共通した感覚があった。

オーケストラのメンバーを雇うと、業務時間と休憩時間が驚くほど精密に決められてしまう。

この条件は依頼側の状況とは無関係なので、困惑したが、演奏家の労働組合が強いのだろう。

45分演奏して15分休みというのは、演奏による疲労を考えているのだろうと思うのだが、クラシックであれば2時間以上休みなく演奏する演目もあり、何故こうした硬直的なルールがまかり通っているのか、不思議な体験だった。

 

オーケストラのメンバーを連れて地方公演の仕事を依頼すると不可思議な事が起きる。

当然交通費用は通常の移動分(新幹線等)を事前に管理側の事務所経由で支払うのだが、それを流用して自分たちでレンタカーを借りて数名の集団で移動するケースが多かったのだ。

つまり、本来の目的とは違う方法での移動を行い、浮いた金を自分たちの懐に入れるためなのだ。

セコいと言っていい。

余暇があれば、車を使って旅行を楽しんでいたようだ。
 

主催側からすれば出演者の安全を考えて公共交通機関を利用させているのだが、世間ズレした演奏家たちはそういう事を理解出来ないらしい。

余りの貧乏臭さに驚いた事があった。

 

それに比べてスタジオミュージシャンとして演奏にやって来る音大卒の人たちは、特にブッキングの中核になるような人は上記のような感じが全くない。

やはり仕事を得るためには社交も必要であり、自分が雇われてナンボということが肌で理解出来るいるからだろう。

但し、ちょっと笑ったのは、演歌の仕事で生弦の演奏に入るミュージシャンたちは、自分の所属楽団には内緒でやってくるそうだ。

いわゆるアルバイトだ。

彼らの技術と読譜力があれば、1時間で1曲程度は録音出来、2曲も演奏出来ればそれなりのお金になるから、こうした仕事は嬉しい部類のようだ。

 

著者は、音大の再生のために様々な提案を行っている。

幾つかは実現性がありそうだが、ちょっと夢物語なものの方が多かったのも事実。

 

それでも1点、非常に的を得た指摘があった。

それは、何故スポーツ庁があるのに音楽庁が無いのか?だ。

 

これは極めて政治的な課題なのだが、音楽業界関係者はこうした政治関係者との関係構築に恐ろしく疎い。

多分、音楽業界関係者(レコード会社、音楽事務所等)の多くは、音楽(芸能)は自由なものであり、大衆向けの芸能であるが故、政治色は邪魔になるため政治からの距離が必要だと考えている人たちが多いのだろう。

また、60年代から70年代にかけての左翼学生の運動によって大手企業に就職出来なかった人たちに門戸を開いている業界だったことも業界の政治体質に影響を与えているのかもしれない。

 

加えて音楽&エンタメ業界は、ファンタジーを作ってユーザーに提供することを生業としている。

職業柄、ファンタジーに入り込み過ぎて、現実との距離感が取れない人もいるのだろうか?

 

しかし現実社会における業界発展を考えた際、明らかに自分たちを不利な環境に追いやっていると言っていい。

実際、鉄鋼、機械、製造等々の多くの産業は、業界団体を持ち、一定の政治的発言力を維持している。

理由は簡単で、それをしないと自分の業界が不利益を被る可能性があるからだ。

経団連は、上場企業をまとめて経営にマイナスになる政策を止める役割をしている。(それが国益に沿うかは別だが・・)

 

コロナ禍でライブ産業が大きな打撃を受けた際、飲食サービス業と共に餌食になったのがライブエンタ産業だ。

この2つの産業は政治にプレッシャーをかける大きな団体が無いからだったとも言えるが、こういう影響があることに気が付かない、もしくはリーダーシップを取る人材が居ない辺りが音楽産業界の最大欠陥と言っていい。

 

著者が指摘するように、音楽業界は業界を俯瞰した組織化に失敗している。

レコード協会、音楽制作者連盟、音楽事業者協会等々、個別団体はあるのだが、音楽業界全体を統合した団体はない。

それぞれが勝手にやっているから力が統合出来ない。

それはつまり政治へのアクセスが弱いということになる。

 

現実世界では、ロビーイングが必要なんて考えた事もないのだろう。

余りにもウブだ。

 

それにしても、何故共通の利益団体が出来ないのか?

答えの1つが以下にある。

 

2022年7月、音楽業界4団体による特定候補の支持表明に音楽関係者たちが抗議声明を出した。

それに関連した記事は以下だ。

 

https://natalie.mu/music/news/484419

 

一般社団法人の日本音楽事業者協会、日本音楽制作者連盟、コンサートプロモーターズ協会、日本音楽出版社協会の音楽業界4団体が、元音楽業界人材である2名の自民党議員の支持を表明したのだ。

これは音楽団体が合同で発した政治向けメッセージだったと言っていい。

日本音楽事業者協会、日本音楽制作者連盟は、芸能事務所の団体で、あとは読んだ通りだ。

 

実は音楽関係者には、その成り立ち経緯や業界の在り様から左翼思想系の人たちが多い。

従って特に政権寄りの議員や団体への支持はご法度となるケースが多い。

だからと言ってアカラサマに立民や共産党の支持を表明する訳ではないのだが、政治スタンスが見えることが禁じ手になっている。

 

音楽関係者たち、つまりミュージシャンたちの反対はこんな辺りから来ているに違いない。

そういう意味でミュージシャンは浮世離れしている。

彼らの成り立ちを考えると仕方ないとも言えるが、幼いとも言える。

 

企業。業界経営には左翼も右翼もないのだが、こういう無理解が自分たちを苦しめる一因になっていることを理解出来ないのは、無知のなせる業である。

 

音大崩壊を読むと、シミジミと上記のような事が過った次第だ。