音楽プロデューサー・作曲家 川原伸司の仕事録『ジョージ・マーティンになりたくて〜プロデューサー川原伸司の仕事録』を読んだ。
(以後、敬称略にて失礼いたします)
川原伸司と言っても一般的には知らないだろう。
では平井夏美ではどうだろう?
この名前でもピンと来ないかもしれない。
では、井上陽水の「少年時代」「Tokyo」は聞いた事があるだろうか?
松田聖子の「瑠璃色の地球」「Rmance」は?
そう、これらの曲の作曲者は著者なのだ。
著者の経歴で変わっているのは、レコード会社の正社員だったことだろう。
ビクター音産にバイトで採用され、その後正社員となり、何度かソニーミュージックとビクターを行ったり来たりしながら、還暦で定年退職したのはソニーミュージックであった。
その間、結構な数と質のヒット作品を残している。
音楽業界でこういう才能を持った人は多くないと思う。
詳細仔細は本書に譲るが、異能を持った人物と言ってもいい。
その著者の軸は常に「音楽」がある。
彼の音楽的な哲学は不思議なほど生涯に渡ってブレない。
著者が関わった音楽関係者は、筒美京平、松本隆、大滝詠一、細野晴臣、井上陽水、松田聖子、中森明菜、森進一、小林昭、荻野目洋子、NOKKO、松本伊代、藤井フミヤ、都はるみ、鷺巣詩郎等々と有名芸能事務所のお歴々方。
著者がこれだけの関係者と仕事をし、更に長年に渡って人間関係を維持出来たのは、稀有な能力と人間力を持っていたからだと思う。
それは、アーティストとビジネス側の両方の視点を持ちながら両者を通訳出来たことだと推察する。
著者は自身も優秀な作家だったが、専業にしなかった。
それでもアーティストや作家の信頼を得られるほどのレベルの高い音楽性を持っており、著者の云うミュージシャンや作家のサロンの仲間入りを果たせた点は、他のレコード会社の社員には絶対ない優位点だったろう。
また煩型の多い芸能事務所の社長陣に対しても、結果を出すことで信頼を得られるようになり、アーティストとビジネスサイドの架け橋を「音楽の言葉」と「ビジネスの言葉」を使って翻訳し続けた。
私は本書にも登場する、井上陽水のライブハウスのコンサートツアーに著者のピアノの演奏で陽水さんが「少年時代」を歌ったステージを観た事がある。
川崎チッタだった。
確か、アンコールで歌った時だったろうと記憶している。
「少年時代」が生まれる過程は本書に譲るが、井上陽水という巨人の心の中に自然と入り込んで、まるでレノンマッカートニーのように作品を産み出す過程は、ちょっと嫉妬してしまうくらいの空間だ。
井上陽水に対する見方で面白い記述があったので、この部分だけ引用する。
作家って、小説家もそうだし作曲家・作詞家もそうだけど、自己完結の仕事ですよね。編集者やレコード・プロデューサーが提案することはあっても、基本的には自分の内面を掘り下げて、その中で新たなものを作り上げるというのが作家のあり方なんです。
そして、掘り下げすぎちゃって自閉して表に出て来なくなったりする時が、どんな作家にもある。
けれど陽水さんが何故素敵かなのかというと、それは京平さんにも共通するところなんですが、自分の奥底まで深く穴を掘って行っても、また普通に出てこられんですよ。自由自在というか、その両面のバランスが陽水さんと京平さんはあって、そこが素晴らしいなと思うんです。
オンステージにたとえるなら、いつもステージに出っぱなしのようにテンション高い人って、個がなくなって楽屋がなくなっちゃうみないな状態なんですよね。
ずっとオンステージのまま。
でも、そんな舞台でもステージでも、必ず楽屋があって、そこに戻ってきて一息ついて、また台本読み直したり、ちょっとギターのチューニングを直してみたり、個に戻る瞬間がある。
その使い分けがものすごく上手なのが、陽水さんなんです。
あれだけのビッグネームだし、キャリアも長い。50年以上、自分の作品を掘り下げてきたのに、必ずフッと奥底から飛び出してくる。そのバランスの良さが見ていてすごく美しいなと思うんです。
一方、アーティスティックにずっと掘り下げていっちゃうタイプの人は、出口が見えなくなって、客観視できなくなるんですよね。
自分のファンだけに囲まれていると、自分が宇宙で唯一の存在みたいに思い込みやすくなって、自分だけに才能があると思い込んで、ついお坊に振舞ってしまうアーティストもいるけど、陽水さんはオンとオフのバランスが取れていて、虚像を作らない。つまり、”カリスマ”という存在を誤解していない、と言ってもいいのかもしれません。
エンタメ業界で働く人たちは、特に作家やアーティストたちは、魔法の時間を作る職業と言ってもいい。
著者が言いたいのは、その魔法を作る側が自分で魔法にかかってしまう人たちがいるが、陽水さんや京平さんはそういう事が無かったと言っているのだろう。
実際、こうしたバランス感覚を持つのは難しい。
こういう事を言える辺りが名曲を世に出せる才能を持ちながら、俯瞰的な位置から作品をプロデュース出来た素養の賜物だったのだろうと思う。
どの章も面白いのだが、中森明菜が本番の歌入れの際に準備してきた行動のエピソードは思わず”ほ~!”と感心するものだった。
本書、全力でお勧め致します。