多くの日本国民の深層心理にはこんな事気持ちが渦巻いていないだろうか?

 

1,自分の国を好きだ(愛している)と云うと右翼扱いされるから言えない。

2,自宅玄関先に日本国旗を掲げると右翼系の家庭だと考えてしまう。

3,君が代を歌う事に躊躇がある。

4,日本国旗に対して真正面から向き合えない。

5,天皇陛下のご存在に対して真正面から向き合えない。

6,太平洋戦争の惨禍を鑑みれば日本国は永遠にアジア諸国に対して頭が上がらないと思っている。

 

上記に思い当たる節がある人は多くないだろうか?

私もある。いや、現在ではあったが正解だ。

 

何故だろうか?

 

私は50歳を過ぎた頃、日本史通史を自分で学び直してみた。

キッカケは、あるテレビの歴史ドラマを見て改めて日本史に興味を抱き、また、自分が日本史をキチンと把握出来ていない自覚があったことだった。

これは現在でもまだ継続中だ。

歴史は余りにも奥深い。

 

かなり時間を要したが、少なくとも古代から1960年代までは勉強し直した。

実に楽しい体験だった。

そして分かった事があった。

 

学校の歴史教育には相当なフィルターがかかっていて、史実を反映していなかったり、歪んだ解釈による歴史観が反映されていたということだ。

特に明治から太平洋戦争(大東和戦争)の終結、日本国憲法の制定、そしてサンフランシスコ条約締結に至るまでは不正確極まりない情報で満たされている。

 

我々が学んで来た歴史教科書は、まるで日本国民に日本をキライに仕向ける事が目的かのような内容なのだ。

 

何故こんな事がまかり通ってきたのだろうか?

文科省には意外なほど左翼系の官僚が多いらしいが、そういう背景が影響していることはあるのだろう。

 

皆さんは、日本国旗に対峙する日本国民の使い分けを不思議に思った事はないだろうか?

 

祝日、祝辞や日常において、日本国旗に対する温度感にはバラつきがある。

多くの国民は国旗や国歌から距離を取ろうとする。

 

しかし、オリンピック、ワールドカップ等になれば、表彰台の選手を祝う国旗に涙し、日本国家を歌うだろうし、応援となれば日本国旗を振り回し、また背中に背負って応援することに違和感を覚えない。

 

それなのに、学校の卒業式に国旗掲揚や国歌斉唱を反対する教員が存在する。

 

このダブスタ、変だと思った事、ありませんか?

 

私はずっとあった。

 

アメリカ人にしろ、イギリス人にしろ、多くの国民は、自分の国家、国旗、国歌に対してプライドを持っており、愛国心を表に出すのが普通だ。

 

いつから我々日本人はその感覚を失ったのだろうか?

またこの普通の感覚を非難されたり違和感を覚えられるようになったのは何故なのか?

ずっと疑問だった。

 

答えは単純ではないが、日本国家を忌諱する思想を埋め込んだ中心的な連中は、間違いなく日教組の教員、そして左翼メディア連中で、彼らが果たした負の役割は想像以上に大きかったと言っていい。

そしてその背景には、中国や韓国などの国家の存在や、その血を受け継いだ連中が少なくない影響を及ぼしている。

 

つまり我々日本人は、戦後、この連中を中心にした勢力に洗脳をされていた、いや現在もされていると言っていい。

 

この悪の引力圏を脱するのは容易ではない。

 

最近のTBSなどは、韓国や中国の勢力に乗っ取られたような論調しかしなくなった。

朝日新聞、東京新聞、毎日新聞などは、反日新聞と言って良く、もはや機関紙である。

加えて彼らはもはや気持ち悪いほどそれを隠さなくなり始めている。

 

しかし、有難い事に、YOU TUBE等のSNSによる個人発信が可能になり、大手メディアや霞が関官僚の仕事ぶりにしても、それらを様々な視点で解説・論評出来、ユーザーが自由に視聴可能な時代になったお陰で、これまでのような大手メディアと一般大衆の情報の非対称性が崩壊し、嘘や歪曲した論評が砂上の楼閣となり始めた。

 

日本国民の多くが、過剰な洗脳から解放され、自分の視点と価値観で日本国家と向き合える時代が来て欲しいと願う次第だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これらは全て、長年に渡って我々が日教組と左翼メディアからの

国家を愛すること