ユニバーサルミュージック・グループのCEO兼会長ルシアン・
10万曲という膨大な曲数に加えて、
一方、Apple Musicは先日、同プラットフォームで配信する楽曲数が1億曲
加えてAppleは「
Spotifyに毎日アップロードされる6万曲という数字には、リミックスやリマスターバージョン、
(Music Allyの記事より引用)
凄い数の楽曲が、音楽配信プラットフォームにアップされている。
従って各プラットフォームの「プレイリスト」に入らないと聴かれる回数が稼げない、というのが現代音楽ビジネスに起きていることだ。
実際、このプレイリストに入るかどうかが「利権化」している。
ちょっと前で言えば、ラジオのオンエアーを稼ぐ事やテレビにプロモーション出演する構造と同じだ。現代はそれがプレイリストになった。
もはや人間が消化出来る数を大幅に超えた楽曲数が配信サイトにアップされているのだが、経済学的視点で見れば、完全に「供給過剰」な状態だ。
それはつまり、楽曲全体(音楽)の価値が大幅に下がるという事と同時に、一部の聴取数の多い楽曲だけは他の楽曲よりも圧倒的に価値が高まるということになる。
これはつまり、中間層の楽曲がなくなり、マネタイズ出来る楽曲とそうでない楽曲が明白になるという事でもある。
ブロックバスター理論というものがある。
これは、映画産業において、多くの投資をして作った一部の作品が圧倒的な回収率と売上&利益シェアを誇る、という理屈を体系化した理論だ。
映画業界においても、中間層的な作品が少なくなり、勝ち負けがハッキリしている。
最近、CGを使ったコミック原作やリメイク版の映画が多いと感じて食傷気味だと感じている方々も多いと思うが、これはマーケティングオリエンテットの悪い面が現れているからだ。
音楽が投資額に見合った回収を示すのかどうかについては詳しい調査がないので、何とも言えないのだが、少なくとも聴かれている楽曲とそうでない楽曲の比率には極端な格差が生じていることだけは確かだ。
昨今の楽曲にはマーケティングオリエンテットが如実に現れている。
イントロを無くし、ギターソロを無くし、サビから始まる構成。
まあ、50~60年前的に言えば、ラジオにかけるために3分で終わる曲を作れという感覚に近いのかもしれないが、現代では昔よりも再生回数を稼ぐための縛りがキツイため、作品の個性が失われ始めている弊害が出ている。
何が言いたいのかと言えば、現代の音源ビジネスの世界は、成功者と非成功者の明暗がレンブラントの絵画並みにクッキリとするため、益々マーケティングオリエンテット。
昨今は、SNSの二次利用に許諾を出して、それによるマネタイズが顕著になりつつあるが、これとて同じ傾向を辿るはずだ。
理由は簡単で、エンタメ産業は「供給過剰」であるのと同時に、SNSを通じたユーザーへのアクセス、特に有料利用者獲得が熾烈だからだ。
私が生きた時代、娯楽の王様はテレビで、それ以外は音楽、映画、ラジオ、雑誌程度だった。従って選択肢も限定されており、それ故、各産業を成立させられるだけに需要が存在していた。
受給バランスが均衡していたからだ。
その後、ゲーム産業が発達し、ネット時代になり、それ以前のエンタメ産業のビジネスモデルを改変し始め、地位の逆転が起こっている。
その中で、受給バランスを生き抜いている人たちだけが生き残っているという訳だ。
先日、川本真琴さんがサブスク死ね!と発言し、それに対してエイベックス会長の松浦氏が、それなら売れる曲を書け!と応酬していたが、どちらの言い分もそれぞれの立場ではその通りだろう。
しかし、変化するビジネスモデルに対応出来なければどちらの立場も消えることは確かで、結局対応するしかない、というのが歴史の示している事実だろう。
作品を提供するアーティスト側は、自分の孤高を守りながらも十分な報酬を得るのが難しい時代になっていると感じざるを得ない。