デビュー50周年を迎えた歌手・松任谷由実氏(68)が、リクエストベストアルバム「ユーミン万歳!~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~」で、1970年代、80年代、90年代、00年代、10年代、20年代の6年代連続と、昭和、平成、令和の3元号のアルバム1位を達成したという。

20万セット弱という数字は、CD不況の現代としては驚異的で、最盛期なら150万セット級だろう。

 

 

ユーミンがデビューした時、私はまだ中学生だった。

その人が、私が還暦を過ぎてもまだ現役で一線を張っているというのは、ちょっと驚愕と言っていい。

 

現在の若者の中心であるZ世代の皆さんに、ユーミンの凄さを伝えるのは難しいかもしれない。

しかし、ユーミンは明らかに「天才」だ。

これは議論の余地がない。

我々は数多くの音楽的天才が生まれた時代を生きてきた。

海外で言えば、The Beatlesのメンバーたち、スティービーワンダー、マドンナ、エリック・クラプトン、ピーター・ゲイブリエル等々。

日本で言えば、ユーミン、細野晴臣、坂本龍一、大滝詠一、井上陽水、吉田拓郎等々。

天才たちが天才たちをドライブしていた時代だったと言っていい。

 

私や他の多くのファンのように、ユーミンが作り上げた時代性を体感した人たちは、彼女が常に時代のちょっと先から現代を見ているような感覚を持っただろう。

ユーミンの先に我々が触れる時代があったのだ。
また、まるで多くの人たちの心を見透かしているような歌詞、憧れを具現化したようなライフスタイル、それを全て併せ持った人だと言っていいだろう。

 

もちろんそれを時代を超えて維持することが、どれほど大変なことか、ご本人のみしか判らない部分だが・・。

 

また、今では当たり前のような映像、特別な衣装、特効、違う分野のアーティストとのコラボ等、ライブ演出に様々な仕掛けを施してエンタテインメントにステップアップさせたのはユーミンの功績の一つだろう。
(同時に夫の松任谷正隆氏の功績でもある)
 

つまり彼女以前にこうしたライブをする人は日本には居なかったのだ。

 

私自身、最初からユーミンの凄さを理解していた訳ではない。

ご本人がインタビューで語って認めているように、ユーミンは唄に難がある。

声と歌い方が特徴的であるがゆえ、好き嫌いが分かれやすいのだ。

 

1つだけ確かなのは、ユーミンの書いた曲を一番上手く歌えるのはユーミンだけという事だ。

 

当時、「翳りゆく部屋」や「潮風にちぎれて」など、個別のシングル曲に好きな作品があったが、まだアルバム全体を聴きたいという感じではなかった。

私が本格的に聴き始めたのは8枚目の『悲しいほどお天気』からだったが、これも大学時代の友人がバイトしていた喫茶店で日夜掛かっていて、遅まきながら、作品の凄さに圧倒されたからだった。

 

そして過去7作品を全部聴き、ますますハマった。

何故今まで聞いて来なかったのだろう?と自問自答する位聴いた。

映像的であり、文学的であり、小説的でもあり、音楽的である。

この多面的な色彩が彼女の作品を長く生き長らえさせてきたのだろうと思う。

 

この時期、同様に何度も聴いていたのが、まだブレーク前の山下達郎さんの「Moon Glow」だった。

実は、達郎さんは、過去7作品の多くにコーラスで参加している。

そのことに気が付いたのは、この時代だった。

あっ、あのコーラス、達郎さんだったんだ・・。

そう判るとますますアレンジに注意を払いながら詳しく聞くようになった。

 

達郎さんのコーラスは、『MISSLIM』から始まり、『OLIVE』まで関わっている。

 

【山下達郎さんがコーラスで関わったユーミン作品】

なお、山下達郎さんは、全てのコーラスセクションのアレンジも行っている。

 

「 1974年 : ミスリム ( アルバム )   / 荒井由実 」

・ 12月の雨

・ 瞳を閉じて

・ たぶんあなたはむかえに来ない

・ 生まれた街で

 

 

「 1975年 : ルージュの伝言 / 何もきかないで ( シングル )  / 荒井由実 」

・ ルージュの伝言

・ 何もきかないで

 

「 1975年 : コバルト・アワー ( アルバム )  /荒井由実 」

・ 航海日誌

・ 少しだけ片想い

・ アフリカに行きたい

 

「 1976年 : 翳りゆく部屋 / ベルベット・イースター ( シングル ) /荒井由実 」

・ 翳りゆく部屋

 

「 1976年 : 14番目の月 ( アルバム ) /荒井由実 」

・ 天気雨

・ 避暑地の出来事

・ 14番目の月

・ さざ波

 

「 1978年 : 流線形'80 ( アルバム )  /松任谷由実 」

・ 真冬のサーファー

 

「 1979 : OLIVE ( アルバム )  /松任谷由実 」

・ 甘い予感

・ 稲妻の少女

 

話をユーミンに戻す。

 

ユーミンがある意味で、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのは、1981年~1997年の17年間。

凄い長い期間だ。

この間、オリコンチャートで全アルバムが1位。

その中のアルバム「THE DANCING SUN」は、自信最高売上の217万枚だった。
なお、1998年に出したベストアルバム『Neue Musik』は380万枚を売った。

音楽産業としても、ユーミンとしてもこの時代がCD売上のピークだった。

 

2000年以降、計9枚のオリジナルアルバムを出しているが、全てベスト10に入っている。その内、2018年発売の「宇宙図書館」は1位を獲得している。

 

さて、時に天才は厳しい面を見せる事がある。

 

それを客観的に感じたのが、ユーミンのライブで25年間、コーラスを務めたいた松岡奈緒美(Tina)氏が2017年12月のブログに自身がユーミンのコーラス隊からの「卒業」報告をした時のことだ。

 

 

これは簡単に言えば、お役御免となったという事だ。

理由は様々に考えられるが、ここでは控えておく。

2017年末までに離脱を言い渡されたのは、翌年の2018年からタイムマシーンツアーの予定があり、それを見据えて別のコーラス隊を組んでおく必要があったからだろう。

実は、このちょっと前の時期、山下達郎さんも30年弱の間、コーラスを務めた佐々木久美さんをお役御免にしている。

そして佐々木さんの娘さんの詩織さんは、松岡氏の代わりにユーミンのコーラス隊に加わった。

時代の変わり目でもあったのだろう。


松岡氏の卒業の決断は、仕事で必要な事とは言え、四半世紀もの関係に終止符を打つ判断をするのは、誰にとっても簡単な事ではない。

それでもユーミンは決断した訳だが、情に流されるだけの人なら、こうした措置を取るのは難しいだろう。

松岡氏は現在でも自身の音楽活動をなさっているようだ。

 

 

さて、ユーミンの中で何か1曲好きな曲を上げろと言われると多くは困り果てるだろう。

「ユーミン万歳」を聴いて判るだが、3ダースでも収まりきらないほどの名曲を書いているという事実は、本当に凄いことなのだ。

 

さて、その1曲、私は「潮風にちぎれて」だ。

初めて聴いたのはオールナイトニッポンで放送された時だった。

実は当時のシングルレコードは、学生でこずかいが少ない時代だったので買えなかった。(このシングル盤は、中古屋で高騰しているらしい)
 

なおこの曲は、オリジナルアルバムには収録されていない。

なかなかベストアルバムにさえも収録されないため、聞く機会がなく、ずっとボンヤリとした記憶の中に封じ込められたままになった。

(2001年になってから『sweet,bitter sweet〜YUMING BALLAD BEST』収録され、2007年の『SEASONS COLOURS -春夏撰曲集-』というベスト盤に収録後、『ユーミン万歳』にも収録)

2000年初頭、ipodが登場したことで、随分と聴くチャンスが増えた。

3月の終わり頃から5月の連休頃にかけて、この曲を材木座海岸辺りや海を横目に134号線沿い辺りで聴くのが一番好きな聴き方である。

 

以下は、中日スポーツ記事からの引用。

 

今作で通算25作目の1位獲得となり、自身が持つソロアーティストによる「週間アルバムランキング通算1位獲得作品数」の記録を更新。「昭和・平成・令和」の3時代でのアルバム1位獲得は矢沢永吉(73)、竹内まりや(67)、桑田佳祐(66)、山下達郎(69)に続いて5組目、68歳9カ月での1位は「アルバム1位獲得最年長アーティスト記録」の女性アーティスト1位と記録ずくめ。 

 

「前人未到の記録というものは、とてもうれしいものなんですけど、うれしさ2割、後は、人生って儚(はかな)い、という切ない気持ちが今、心を占めています。だからこそ、輝きたいと思ってやってきました」と振り返ったユーミン。

ファンに、「時々言っているんですけれど、私のゴールは“詠み人知らずの歌になること”。私が死んでも、名前が残らなくても、その歌だけをみんなが知っているという状態が理想です。そこにまた一歩近づけたんじゃないかと思っています」とメッセージを贈った。

 

3時代、50年の間を貫いたトップミュージシャンはたった5組

これがこの仕事の現実でもある。