2022年9月27日 日本武道館で安倍晋三元総理の国葬儀が執り行われた。
式辞を述べたのは、岸田総理、そして友人代表の菅義偉前総理。
岸田総理の弔辞は以下。
そして菅義偉前総理の弔辞は以下。
世間的に評価が高かったのは菅前総理の弔辞だった、
但し、岸田総理のが特別に悪い訳ではない。
しかし、菅前総理の弔辞は、国葬儀に寄り添う国民感情に恐ろしいほど感情に訴えるものがあった。
何が違ったのか?
私の個人的見解として述べさせてもらえれば、これはお二人の安倍晋三元総理との人間的距離感と苦楽を共にした時間軸の長さだと思う。
岸田首相が語る安倍元総理への言葉は、何処か、部下が上司へ伝えるような距離感があったと思う。
丁重な文面で称えているのだが、どこか他所よそしく、距離があったことを伺わせる。
菅前総理の場合、年齢的な差を超えて(菅さんの方が年上)、人間的な繋がりを感じる。
少なくとも、菅前総理は安倍元総理よりも年上で、おまけに叩き上げで、無派閥で、二世議員でもない。
その菅前総理が全く正反対のキャリアを持つ議員である年下の安倍元総理と二人三脚で長期間に渡って運営してきた安倍政権で、文字通り苦楽を共にしてきたことは、明らかで、加えて菅さんの距離でしか分かり得ない安倍元総理のエピソードが盛り込まれていたことも心を動かすことだった。
多分だが、安倍元総理と菅さんの間で各論に対する意見の相違は、それほど珍しい事ではなかっただろう。
しかし、菅前総理は官房長官として生真面目に安倍政権を守ったし、その防波堤力を安倍元総理も理解していたに違いない。
菅前総理が、弔辞の最後に安倍元総理が読んでいた岡義武著『山県有朋』の中で山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌を紹介して弔辞を閉じた。
この起承転結の見事さは、スピーチライターが書いたのかと思うほどだが、菅前総理の事だから、自分で書いたのだろうと推察する。
誰かからのサジェスチョンかもしれないが、いずれにしても印象的な締めだった。
それは即ち、菅前総理の本音が、そのまま投影されたものだからだろう。
政治家的な言葉でなく、彼自身の本心だからだと思う。
これは何を言いたいのかと言えば、岸総理の弔辞の方は、ひょっとしたら殆どをスピーチライターが書いたものなのかな?とも思ってしまう感じなのだ。
そのライターは多分、官僚だろう。
だから心がこもっていない。
少なくとも岸田首相が自分で手を入れて添削しているとは思うが、やはりイケテないのは、岸田首相の思考回路が官僚と一体化しているからだろう。
穿った見方だろうか?