私は若い頃、いわゆる、ちょっとだけ怒りっぽい性格であった。
今の基準からすればパワハラ確定のような態度で仕事をしていた時もあったと思う。
40代に入り、私の上司が変わったのだが、その人物は殆ど怒ることがない人だった。
もちろん人間なので感情を露わにすることはあったが、部下を罵倒したり詰ったり怒りに任せるというような態度の殆ど無い人だった。
その人物に接していて、私の言動が酷くみっともないと感じ始めた。
そこで私は自己流でアングリーコントロールを始めた。
何かを参考にした訳ではない。
何故怒りが沸いてくるのかを考えてみたのだ。
自分の中に怒りが沸いてくる場合は、多くの場合、意外な事だったり、期待外の事が勃発したり、予想外の事態に直面したりなど、想定外で期待値を下回る事に対する事が多かった。
またそのピーク値は、10秒程度だとも感じていた。
そこで私は出来るだけ、自分の周辺で起こる事、仕事にまつわる事、私生活にまつわることに対して可能な限りの事前予測や想定をすることを訓練づけた。
同時に他人に対する期待値を標準よりもかなり下げておくことも心掛けておいた。
そうすると、様々な事が事態が起きても、大抵の場合、自分が事前に心づもりしていた範疇内であるため、心の準備も済んでいるお陰で、怒りの度合いが随分と無くなったのだ。
確かに心は以前よりも平穏になった。
しかし、これにはちょっとした副作用があった。
日常や職場生活の中に起こる事象を、ある程度の範囲内で想定をすることを日常的に行っていたため、驚きや感動のスイッチが働かなくなってしまったのだ。
物事に対して非常に冷めて見ている自分が出来上がってしまった。
これにはちょっと参っている。
期待を裏切られるというのは、怒りにつながる事もあるのだが、感動を誘う事もあるのだ。
もちろん、今の私にも感動する事はある。
それでも以前よりもそのハードルがかなり上がってしまっている。
これは、年齢的に様々な経験をしている部分も多いのだが、それでもちょっとハードルが高すぎるキライがあると感じている。
従って感動があっても、心の奥底でジーンとした分かり難いものが多い。
俺って、感動しているのかな?と思う程度なのだ。
さて、どうしたものか?
そこで、