ワンルームマンション暮らしの小室夫妻の現実に直面する姿を週刊現代が報じている。

 

記事には、44㎡のワンルームと書いてあるので、約11坪。

本当に見た訳じゃないだろうから、誰から聞いた数字なのだろう?

 

私の住んでいる古いアパート部屋にちょっとだけ毛が生えた位かもしれない。

キッチン、ベッドルーム、リビング+α程度の空間だろう。
 

NYにしても狭い部類だろうと思う。

きっと家賃は高いのだろう。

何て言ってもアメリカのインフレ率が半端じゃない時代だから。

 

週刊誌なので多少、針小棒大かもしれないが、弁護士試験に合格していない現在、ニューヨークの超物価高、貰っている給与のレベルを総合すれば、彼らの生活が決して楽でないのは想像の範囲だ。

眞子さんの貯蓄にしても、使っていればいずれ無くなる。

 

小室さんが7月に受験した3度目の試験結果は10月に出るらしいが、ここら辺りが二人の決断時期の境界線になるだろう。

 

私のような爺さんからお二人を見ていると、1960年代後半の学生運動が華やかだった時代の大学生の男女の現実逃避行的結婚生活を思い出す。 

かぐや姫の「神田川」が流行っていた時代の光景だ。

 

今の人たちには、このキーワードでは全く分からないかもしれないだろう。

神田川の歌詞の世界観は、とにかく2人で一緒にいれば、狭い4畳半生活もバラ色だと思って暮らし始め、勢い余って結婚。

やがて社会に出て、仕事を探し始めると、現実社会を突きつけられて、当初描いていたバラ色の生活は褪せ、徒労の中で二人の愛も冷めて行くように見える・・というものだ。
つまり、現実の過酷さによって「愛の魔法が解ける」ということだ。

 

ちょっと経験値のある大人であれば、この程度のことは容易に想像つく範囲だが、皇室の一員として守られてきた生活しかしたことのない眞子さんにそれを求めるのは酷だろう。

そういう意味で、小室さんには少し冷静でいて欲しかった。

 

仮に合格を待ってから結婚という流れにしていたら、眞子さんはもう少し違う方向性を選択出来たかもしれない。
場合によっては、結婚を選ばないこともあっただろう。

 

1億円とも言われる眞子さんの円建ての貯蓄も、アメリカのインフレの前では、毎年実質価値が目減りし、おまけに円➡ドルへの交換で更に不利な状況になる

 

若気の至りというと余りにも可哀そうな表現なのだが、こんなはずじゃなかった、というのが2人の現在地かもしれない。