以下の現代ビジネスのリンク記事が興味深かった。
2000年初頭、エイベックスの当時の経営者の松浦氏のコメントに、これからのCDは広告付きで売り出されるだろうという発言があった。
ある意味、先見の明がある人だと思うのだが、今のところ、CDには広告はついて売られていないが、音楽配信によってその予言の正しさが証明されている。
2010年代に入ると、音楽業界が、CD発売によるビジネスモデルの限界を肌で認識するようになり、ライブビジネスに転換を始める。
以降、ライブが稼ぎ頭になったが、コロナ禍によってそのモデルが一旦崩壊する。
さて、記事の中では、平良氏が以下のように語っている。
「シンプルに、いい音楽を見つけて、どう聴くか、かつ、それをどう応援するかということだけが常に根底にある。そこにたまたま、どうお金をとるかということが入ってきているだけだと思うんですね 」
大変に失礼な論評だが、上記は半分当たっていて半分は不完全だと思う。
音楽産業は、ミュージシャンが産み出した作品をビジネス環境に乗せてマネタイズし、産み出された金を再投資、もしくはミュージシャンの次の作品を産み出すためのモラトリアム期間に利用することで再生産のサイクルを維持してきた。
ミュージシャンにとって一番の関心事は、自身のオリジナリティある作品をイメージ通りに作って世に問う事だろう。
自分が自然体で作った作品が自然にファンを集め、広がって行き、その果てに結果的に十分な対価を得られるというのは、とても理解出来る事だ。
しかし、世の中、それほど甘くない。
ビジネスサイドの関心事は、ミュージシャンの威厳やイメージを損なわないようにビジネス的な目標をクリアーすることだ。
つまり、出来るだけ売上を上げ、利益を生み、再投資出来る資金を得ることだ。
両社は常に、精神的な部分で対立していた。
ミュージシャンたちは、音楽は芸術であり、神聖なもので、なおかつ、作品は自分自身の分身であり、金勘定で測ることを極端に忌み嫌う。
金は汚いもので、作品は純粋なものだと考えているからだろう。
1960年代後半から70年代にかけて、売れ線の音楽を作ること、もしくはそういう作風に見える事は、ミュージシャンとして資本主義に魂を売ったヤツと言われた時代があった。
この手合いは、いつの時代にいもいる。
言い方が強くて申し訳ないが、この手合いの言い分は、
純粋主義者たちの戯言で、
日本の憲法第9条改正反対論者と精神構造がそっくりなのが興味深い。
しかし、結局のところ、ミュージシャンは、己の才能を駆使して産み出した作品を通じて、現金を産み出さなければ自身の活動を諦める運命を負っている。
そもそもミュージシャンとは職業を表す言葉だからだ。
従って、音楽産業に参加しているミュージシャンは、そのヴィジョンや想いと関係なく「どのように自分が作った作品や活動から金を産むか」という命題を背負っていると言っていい。
当たり前なのだが、誰しも仙人ではないのだ。
ミュージシャンを職業とするなら、キチンと対価を得なければ活動継続が出来ない。
金儲けを全面に出して活動しろとは言えないが、ファンが納得する形で支出する金銭を得る事は、経済活動として特に恥ずべきことではないだろう。
さて、前置きが余りにも長く恐縮だが、テーマの結論は以下だ。
音楽産業が以前に比べて稼ぎ難い業界になったのは、単純に音楽産業以外に魅力的なエンタメビジネスが出てきた事に他ならない。
携帯ゲームであり、動画サイトであり、SNSやNFT等である。
一番輝いている産業は、若者が憧れ、憧れた若者たちが殺到する。
従って有能な人材が集まりやすい。
輝いている産業とは、単純な言い方をすれば、世の中に影響力を持ち、外形的に面白そうで、ビジネスが非常に成功していることに尽きる。
鶏と卵のような話だが、有能な若者が集まる産業は必ず伸びるし、逆は衰退する。
かつての音楽産業がまさにそうだった。
残念な言い方だが、現代の音楽産業はその座にはない。
縮小する産業には有能な人材が入って来難いのと同時に、ビジネス的な勝ち負けが明確になり易い。
規模が小さくなるため、中間層が圧倒的に薄くなるからだ。
現在の音楽産業(音源ビジネス)は、全世界で2兆円程度しかない。
ソニー1社(グループ会社含む)の年間売上は10兆円だ。
更に、1997年、日本の音源ビジネスだけで市場規模が8000億円強もあったことを考えれば、この数字の小ささが分かるだろう。
あと、付け加えるとすれば、音楽産業が作品の供給過剰になっているということだ。
現代は、メジャーだけでなく、インディーズにしても相当なクオリティの作品アクセス出来る。
しかし、余りにも出現する作品が多すぎて、ユーザー側は消化不良の状態なのだ。
おまけに配信サイトのお陰で、過去の作品を含め、いまや数億曲の中から選択出来る時代を生きている。
特に定額制もしくは無料利用の音楽配信サイトの登場で、廃盤の作品にまでアクセス出来る時代なのだ。
新しい作品の一部は、リアルタイムに時代を生きる若者世代が消費するだろうが、一定の年齢を超えると、自分の時代のアーカイブだけで十分満足出来るし、そもそも自分の生きていた時代の音楽すら全て聴ききれていないことにも気づく。
経済は、全て需要と供給で説明がつく。
ライブは、労働集約型のビジネスだ。
消費者からすれば、座席数にも上限があるため、アクセスできる機会が限られ、需給バランスによっては多少チケット代が高くても行く人は行くだろう。
主催側からすれば人気アーティストほど需給バランスを作りやすく様々な価値を高める事が可能だ。
従ってビジネスとして成立し易い。
しかし音源の方は、上記のような課題がある。
需給バランスが崩れれば価値は低下する。
これからの音楽産業の最大の課題は、自分たちが抱えている特別な才能を世に出す際、アーティストの持っているどんな部分の需要と供給をコントロールすれば、ビジネスを最大化出来るかにかかっていると言っていいだろう。