私は還暦を過ぎているが、仕事柄、様々な成功者を目にし、仕事でも付き合ってきた。
ある人は天才的な才能を持った人物たちであり、ある人はみるみる内に社会的地位を上げて大企業のCEO、CFOになった。
当然だが、彼らの能力は破格に高かった。
当時は、確信的な理解をしていた訳じゃないが、中野信子氏の著書「サイコパス」を読んで合点が行った事が数多くあった。
私が長年接してきた成功者たちは、全員例外なく、中野信子氏が指摘するサイコパスのプロファイルに、完全ではないが、数多くの点で合致していたのだ。
特に私が接してきたのは、クリエイター系の人間が多かった。
若かった当時は、彼らの尖った部分や突飛な部分、アウトロー的な体質は気にもならなかった。
自由で無制限な発想と手段、行為を望む業界だったので、管理、法律、役所仕事のようなものからは、一番縁遠い人種であり環境だったかもしれない。
むしろ、そうした環境や傾向が、彼らの才能の引き出しであるとすら感じていた。
もちろん人によってこの辺りの度合いは違うが、当時は自分の周囲にそういった変わった人たちに囲まれていることに違和感を覚えなかった。
また彼らは例外なくエゴが強かったが、作品のクリエイティブコントロールの手綱の多くは彼らが握っていたから致し方無かった。
中野氏の著書には以下のような記述がある。
産業心理学者バビアクは、“起業家のふりをしたサイコパス”の特性を3点にまとめているが、それを見れば一目瞭然である。
- 彼らは変化に興奮をおぼえ、常にスリルを求めているので、様々なことが次々起こる状況に惹かれる。
- 筋金入りの掟破りであるサイコパスは、自由な社風になじみやすい。杓子定規なルールを重視せず、ラフでフラットな意思決定が許される状況を利用する。
- 自分で仕事をこなす技量よりもスタッフに仕事をさせる能力が重視されるリーダー職は、他人を利用することが大得意なサイコパスにもってこい。(引用)
私が出会った人たちは上記3つに全て合致しているかその組み合わせである。
個人的経験で特に顕著だったのは、クリエイティブ至上主義的傾向だ。
クリエイターにとって、最高の作品を作り出す事が最重要課題で、そのためには、全てを犠牲にして構わないという発想がある。
映画や音楽、舞台等の現場では良く知られている言葉だろう。
演出家の故・蜷川幸雄氏の稽古場の様子は、度々テレビカメラが捉えて放送されることがあったが、あれなどは、まさにその典型例だし、黒沢明監督の撮影現場の様子も非情に似ている。
また、私が関わった現場でもそれに近い状況が数多かった。
常に嫌な緊張感があり、圧迫感で囲まれていた。
仮に自分が逆の立場だったら、スタッフとは言え、あそこまで他人を追い込んで自分の作品作りに投入することなんて出来ないな・・と思うような事を、眉一つ動かさずにやれる人が成功するクリエイターたちの条件に感じたが、どうやらそうらしい
もちろん全ての人たちが「非情」だった訳ではないが、こちらはかなり例外的存在だった。
中野氏によれば、職業別でサイコパスが多いのは、医者、経営者、弁護士らしく、共通するのは知的レベルが高い人たちなのだ。
クリエイターもその列に並んでいるが、経営者とクリエイターをハイブリッドにした人がアップル共同創業者のS・ジョブスだと思う。
中野氏の著書にはこういう記述がある。
例えばアップルの共同創設者の1人、スティーブ・ジョブズは、世界で最も洗練された勝ち組サイコパスだったのではないかと考えられる。
彼は卓越したコンピュータの知識があるわけでもなく、実務的なビジネススキルさえ持ち合わせていなかったが、天才的なプレゼンとネゴシエーションの才能によって全世界の人々を虜にした。(引用)
逆に言うと多くの人を熱狂させたりするエネルギーや才能を持った人は、サイコパス的な素質が必要とも言える。
凡庸な人では、世の中を貫く事が出来ないという意味でもあるだろう。