矢沢永吉氏は今年50周年を迎えた。

私も先日行われた新国立競技場のライブ初日に参加し、彼の計り知れないエネルギーを受け取った。

 

私の知り合いには、レコーディング関係で仕事をしている人が何人かいる。

いずれも結構な年齢の人たちだ。

その中の一人が、矢沢永吉氏の出世作「時間よ止まれ」のレコーディングについての話を教えてくれた。

 

「時間よ止まれ」は1978年3月21日に発売されている。

レコーディングは同年の1月に行われているという情報があるが、真偽は不明。
但し、レコーディングスタジオは判っており、今は無き、六本木ソニースタジオ(通称六ソ)だ。

 

演奏の参加メンバーは、坂本龍一:キーボード、後藤次利:ベース、高橋幸宏:ドラム、斉藤ノブ:パーカッション、木原敏夫:アコースティック・ギター(NOBODY)、相沢行夫:ギター (NOBODY)。

 

坂本龍一氏、高橋幸宏氏は、YMOとしてデビューしたばかりの時期になるが、当時はスタジオミュージシャンを中心に活躍していた。

 

さて、本作のエンジニアのクレジットは、吉野金次だが、実はボーカルトラックは別の人物が行ってたらしい。

これがハプニングを引き起こした。

 

実は、我々が聴いている「時間よ止まれ」のボーカルは取り直したバージョンだ。
つまり、取り直す前のフルサイズのボーカルバージョンが存在する。


何故なのか?

 

最初のボーカルバージョンのエンジニアは、吉野金次氏でなく、ソニースタジオのエンジニアが担当した。これは吉野氏のスケジュールの都合だろう。

この時、アシスタントエンジニアも、以前からこのセッションに参加していた人物でなく、別の人物がアサインされていたという。
 

さて、最初のボーカルバージョンを矢沢氏が歌い終わった際、立ち会っていたスタッフから、これ以上の出来はないというほどで、絶賛の内容だったらしい。

歌入れを終え、プレイバックを聴いていた際、矢沢氏が、そういえば、歌っている時、この間ダビングしたギターが聞こえてこなかったけど、出してくれる?と言われ、エンジニアが出そうとしたが、どこにもギターが入っておらず、右往左往することになった。

 

やがて理由が判明。
 

実は、最初の歌入れの際に再生及び録音していたカラオケのトラックは、NG(使用不可)にしていたバージョンで、最初の歌は、そのNGバージョンにヴォーカルテイクを録音していたのだ。

 

マルチテープの箱にはCUEシートという、レコーディングの情報を書き示す書類が入っているのだが、どのテイクがOKだとかNGだとかは書いてなかったのだろう。

またボーカル録音の参加したエンジニア2名共が、初めて関わった仕事だったこともあり、細かい情報が伝達されないまま、当日の歌入れ作業をしたのだと思われる。


当時、OKバージョンの歌をOKバージョンのカラオケの空いたトラックにコピーしなかったのは、プロ仕様のレコーダーとは言え、明らかに音質の劣化を懸念した事と、2つのオケの演奏のノリが微妙に違っていて、そのままの歌をめ込むのが困難だったと推定される。

 

最終的に、OKテイクのオケに最初から歌い直す事になるのだが、この間の矢沢氏やスタッフ間のやりとりは不明。

普通に考えれば、レコードメーカーの担当ディレクターが一番しっかりとグリップしておくべきことだった。
歌い直しを余技なくされた矢沢氏は、気持ちを立て直して我々が知っているバージョンを歌った事になるが、その心中は察するものがある。

 

最初の歌入れバージョンは絶賛の内容だったらしいが、どのような感じだったのだろう?と思うが、これが世に出ることはないだろう。

 

名作の裏には色々とドラマがある。